×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

啄木日記バナー
 (題字は石川啄木「悲しき玩具」直筆ノートより、写真は啄木が過ごした現在の小樽と小樽水天宮境内の歌碑)



明治四十一年日誌(二)

石川啄木 啄木日記

石川啄木 啄木日記の原本は、次のものを使用しています。

  発行所:株式会社岩波書店
  書  名:啄木全集 全17冊のうち、第14-15集
  発行日:昭和36年10月10日 新装第1刷
なお、筑摩書房版全集と照合し、不突合の場合は調査、不明の場合は筑摩版を採用しました。
原文で使用している仮名遣いや送り仮名は極力原文どおりとしていますが、漢字はウェブ表示上問題があると思われる文字については、現在使われている文字またはかなに置き換えていますのでご了承ください。啄木の正式名は「啄」に「、」(点)があります。
石川啄木は明治41年1月1日から12日まで、「戊申日誌」を書いていますが、12日でやめ、改めて「明治四十一年日誌」(一)、(二)、(三)を書いています。
このページは、「明治四十一年日誌」(二)を紹介しています。
「戊申日誌」、「明治四十一年日誌」(一)、(三)については別ページに掲載しています。

 
明治四十一年日誌

                 其 二

四月廿五日
 犬コロの如くなつて寒い夢を結んだ三河丸三等室の一夜、目をさますと、舷を洗ふ波の音らしいのが耳に入る。驚いて甲板に出て見ると、船は既に錨を抜いて、船々の間を擦り抜け、正に港外に出でむとして居た。時に午前四時半。
 暁の風に身をすくませ乍ら、まだ覚めやらぬ函館の町と山とに別れを告げた。飄遊一年の北海道の見納めだといふ感じと、この美しい都会の陋巷に夢まださめぬ母と妻と子を思ふ情とが、相縺れて胸の中を掻乱した。ともすれば涙が落ちむとする。人といふものは弱いものだ。
 終日船室に寝て現なく物思ふ。過ぎ去つた事、殊にも津軽の海を越えて以来、函館札幌小樽釧路と流れ歩いて暮した一ケ年間の事が、マザマザと目に浮ぶ。自分一人を頼りの老いたる母の心、若い妻の心、しみじみと思[ひ]やつて遣瀬もなく悲しい。目を瞑ると京子の可愛らしい顔が目に浮ぶ。
 飄泊の一年間、モ一度東京へ行つて、自分の文学的運命を極度まで試験せねばならぬといふのが其最後の結論であつた。我を忘れむと酒に赴いた釧路の七旬の浅間しさ! 満足といふものは、所詮我自らの心に求むべきものだといふ悲しい覚醒は、創作的生活の外に自分のなすべき事が無いと覚悟せしめた。此覚悟を抱いて、自分は釧路を逃げ出した! さうだ、逃げ出した!
 友は、自分が小樽へ行つて家族を引纏めて来るだけの旅費を呉れた。母と妻と子を、予が上京して生活の方法を得る迄養つてくれる事になつた。剰へ此度の上京の旅費まで出した。凡てが友の情である。今かうして此船に乗つて居るのも。と思つて思はず目をうるました。
 日の落つる頃、船は宮古の沖を南に駛つて居た。(三河丸船室にて。)

四月廿六日
 船は午前七時荻の浜港に投錨した。五時間碇泊すると云ふので、同船の二三子と共に上陸。東の風が山から下して来て、波の余沫が艀の中に這入る。
 大森といふ旅店に上つて、二人の若い男と共に朝飯を食ふ。家の後の竹藪の崖の下に、咲きくづるる許りの椿の花。何処ともなく鶯が頻りになく。給仕に出た女は、珍らしい程大人しくて愛嬌があつた。戯れに名を聞くと佐藤藤野、年は二十歳だといふ。
 町は極めて狭くて、大男一人ふさがれば、犬も通れぬ様な気がする。古風な家が僅か五六十許りもある。町の後の琴平社の山に登ると、入口に嶋を扣へた美しい港が見下される。山の中腹に一軒家があつて、其前に梅の花が盛りを少し過ぎて居た。桜は笑みそめた許り。其家の主婦に十銭やつて八重の梅と桜とを一枝づつ貰つた。
 雪が消えた許りの、青草一つ無い国から、初夏の都に行く自分には、此荻の浜の五時間が今年の春であつた。函館の友や、此所から程遠からぬ石の巻の新渡戸仙岳氏へハガキを出して、再び宿に帰ると、船が汽笛を吹く。命じた昼飯食ふひまもなく、急いで艀を本船に漕がせた。二人の男と相談して、右舷の舷窓の下に席を移すと、間もなく出帆した。
 此夜、退屈な位海が静かであつた。一人は今年三十なさうで、永く旭川に居た陸軍の休職主計、今郷里なる四日市に帰るのだと云ふ。一人は二十歳、函館商船校を卒業した機関科の生徒、横浜の船渠へ見習に行くのださうな。三人枕を並べて寝乍ら話に興が湧いた。主に婦人に関する事で、主計先生が頻りと妻君のお惚気を云ふ。自分は揶揄半分にパラドックスを説く。同船の人は皆面白がつて笑つた。同船の人と云つても唯の二十三人。東廻りの船には、一二等が無い。
 二十歳許りの若い女が一人、自分等と向ひ合つて座つて居た。自分のパラドックスを何と聞いたかと、可笑しく思い乍らいつしか眠る。(三河丸にて)

四月廿七日
 夜の明方、船が大分揺れた。犬吠岬の沖を過ぎたのである。
 午後になつて房州の海岸が右舷に近く見える。青々とした麦の畑が所々にあつた。館山の沖を過ぎる。鋸山の頂きには雲が靉いて居た。
 軍港横須賀の沖合には、新しく築かれた砲台が二つ三つ、海の中に牛の如く臥て居た。港の入口と覚しきあたりに、軍艦らしい檣が七八本。軈て、横浜の崎が見えだした。
 船は防波堤の奥深く入つて、午後六時錨を投じた。人々と共に二昼夜半の航海を終つて上陸、正金銀行前の長野屋に投宿。船の中で枕を並べた二人と室を同じうする。
 湯に入つて晩餐の膳についたが、綿入を着て汗が流れた。八時半、手紙をかいて小嶋烏水君にやる。返事が来て明日正午会食の約。
 ハガキを五六枚。与謝野氏に明日行くと打電して枕に就く。(横浜市長野屋にて、)

四月廿八日
 同室の客が先づ立つて了ふ。一人残つて十二時を待つ間を斬髪して来る。
 港内の船々の汽笛が、皆一様にポーツと鳴り出した時、予は正金銀行の受付に名刺を渡して居た。応接室に待つ事三分にして小嶋君が来た。相携へて程近い洋食店の奥座敷に上る。披璃の花瓶には白いあやめと矢車の花。夏は予に先立つてこの市に来て居た。
 正金銀行の預金課長、紀行文に名を成して、評論にも筆をとる此山岳文学者は、山又山を踏破する人と思へぬ程、華車な姿をして居た。痩せた中背の、色が白くて髯黒く、目の玉が機敏に動く人で、煙草は飲まぬ。
 名知らぬ料理よりも、泡立つビールよりも、話の方がうまかつた。話題の中心は詩が散文に圧倒されてゆく傾向と自然主義の問題であつた。有明集が六百部しか売れぬと聞いた。二葉亭の作に文芸を玩弄する傾向の見えるのは、氏の年齢と性格によるので、今の文壇、氏の位頭の新しい人はあるまいと評した。“然し乍ら、遠からず自然主義の反動として新ロマンチシズムが勃興するに違ひない。小川未明など云ふ人は、頻りにそれを目がけて居る様だが、まだ路が見つからぬらしい。”
 午后二時発の汽車は予を載せて都門に向つた。車窓の右左、木といふ木、草といふ草、皆浅い緑の新衣をつけて居る。アレアレと声を揚げて雀躍したい程、自分の心は此緑の色に驚かされた。予の目は見ゆる限りの緑を吸ひ、予の魂は却つて此緑の色の中に吸ひとられた。やがてシトシトと緑の雨が降り初めた。
 三時新橋に着く。俥といふ俥は皆幌をかけて客を待つて居た。永く地方に退いて居た者が久振りで此大都の呑吐口に来て、誰しも感ずる様な一種の不安が、直ちに予の心を襲うた。電車に乗つて二度三度乗換するといふ事が、何だか馬鹿に面倒臭い事の様な気がし出した。予は遂に一台の俥に賃して、緑の雨の中を千駄ヶ谷まで走らせた。四時すぎて新詩社につく。
 お馴染の四畳半の書斎は、机も本箱も火鉢も坐布団も、三年前と変りはなかつたが、八尾七瀬と名づけられた当年二歳の双児の増えた事と、主人与謝野氏の余程年老つて居る事と、三人の女中の二人迄新しい顔であつたのが目についた。本箱には格別新しい本が無い。生活に余裕のない為だと気がつく。与謝野氏の着物は、亀甲形の、大嶋絣とかいふ、馬鹿にあらい模様で、且つ裾の下から襦袢が二寸も出て居た。同じく不似合な羽織と共に、古着屋の店に曝されたものらしい。
 一つ少なからず驚かされのは、電燈のついて居る事だ。月一円で、却つて経済だからと主人は説明したが、然しこれは怎しても此四畳半中の人と物と趣味とに不調和であつた。此不調和は軈て此人の詩に現はれて居ると思つた。そして此二つの不調和は、此詩人の頭の新しく芽を吹く時が来るまでは、何日までも調和する期があるまいと感じた。
 茅野君から葉書が来て、雅子夫人が女の児を生んだと書いてあつた。晶子女史がすぐ俥で見舞に行つた。九時頃に帰つて来て、俥夫の不親切を訴へると、寛氏は、今すぐ呼んで叱つてやらうと云つた。予はこの会話を常識で考へた。そして悲しくなつた。此詩人は老いて居る。
 与謝野氏は、其故恩師落合氏の遺著“言の泉”の増補を分担して居て、今夜も其校正に急がしかつた。“これなんか、御礼はモウ一昨年とつてあるんだからね。”印刷所から送つて来た明星の校正を見ると、第一頁から十二頁までだ。これでも一日の発刊に間に合ふかと聞くと、否、五六日延るであらう。原稿もまだ全部出来てないと答へた。そして“先月も今月も、九百五十部しか刷らないんだが、……印刷費が二割も上つたし、紙代も上つたし、それに此頃は怎しても原稿料を払はなければならぬ原稿もあるし、怎しても月に三十円以上の損になります。……外の人ならモウとうにやめて居るんですがねー。
 小説の話が出た。予は殆んど何事をも語らなかつたが、氏は頻りに漱石を激賞して“先生”と呼んで居た。朝日新聞に連載されて居る藤村の“春”を、口を極めて罵倒する。“自然派などといふもの程愚劣なものは無い”と云つた。そして居て、小栗氏の作などは賞める。晶子夫人も小説に転ずると云ふて居ると話した。“僕も来年あたりから小説を書いて見ようと思つてるんだがね。”(来年からですか)と聞くと、“マア、君、嶋崎君なんかの失敗手本を見せて貰つてからにするサ。”――予はこれ以上聞く勇気がなかつた。世の中には、尋常鎖事の中に却つて血を流すよりも悲しい悲劇が隠れて居る事があるものだ。噫、この一語の如きもそれでは無いか! 氏にして若し真に藤村が失敗するといふ確信があるならば、何故其の失敗の手本を見る必要があるか? 予は、たとへ人間は年と共に圭角がなくなるものとしても、嘗て“日本を去るの歌”を作つた此詩人から、恁の如き自信のない語を聞かうと思つて居なかつた。
 十時に枕についた。緑の都の第一夜の夢は、一時過ぐるまで結ばれなかつた。
 与謝野氏は既に老いたのか? 予は唯悲しかつた。(千駄ヶ谷新詩社にて)

四月廿九日
 八時半目をさます。晴がましい初夏の日に緑の色が眩しい。
 十時頃、四谷大番町に小泉奇峰君を訪ねて、一緒に市中をブラついた。小川町のトある蕎麦屋で昼食して、歩いて歩いて須田町で別れる。本郷行の電車を待合はして乗らうとすると“石川さん”と云ふ女の声に後ろから止められた。それは梅川であつた。看護婦の梅川……造花の稽古に上京したと聞いた梅川であつた。妙に釧路の人に逢ふ日だなと思ふ。
 女は、今朝さる古本屋で予の“あこがれ”を買つて来て、そして釧路新聞に出て居る予の退社の広告を見て、出て来て予に逢つたと話す。何処へと聞くと芝へと云ふ。予は態と反対の方角をとつて上野へゆくと云ふと、私も来てからまだ行かぬから伴れて行つて呉れと先に立つて歩く。遂に二人は上野の山に上つた。色あせた残んの八重桜の花の名残り、鮮かな緑の色にけおされて痛ましい。若葉の中の大仏は興を引いた。女は頻りにセンチメンタルな事を云つては“奇妙ですねー。”と繰返した。
 広小路で女を電車に載せてやつて、予は菊坂町の赤心館に金田一花明兄を訪ねた。髪を七三にわけて新調の洋服を着て居た。予が生れてから、此人と東京弁で話したのは此時に初まる。
 豊国へ案内されて泡立つビールに牛鍋をつついた。帰りはまた一緒に赤心館に来て、口に云ひ難いなつかしさ、遂々二時すぐるまで語つて枕を並べた。

四月三十日
 九時近く目をさます。金田一君の室。凡てに優しき此人の自然主義論は興をひいた。十二時千駄ヶ谷に帰る。
 与謝野氏は“言の泉”の校正に忙殺されて居る。森博士から、来る二日の同氏宅歌会へ案内の葉書を貰つた。
 筆をとる心地がせぬので、せつ子と宮崎兄へ葉書かく。急に逢ひたくなつて、突然並木君を市ヶ谷本村町に訪ねた。玄関に立つてベルを推すと、出て来たのが並木君。目をまるくして驚いた顔のなつかしさ。外国語学校の支那語科に首尾よく入学したとの事。
 夏目漱石の“虞美人草”を読んで寝る。


     
皐 月

 緑の都――新生活

五月一日
 朝、隣りの生田長江君を庭伝ひに訪ねる。昔に変らぬ弁舌のさはやかさ。カイゼル式の短かい髯を撚るのが一種の愛嬌を現はす。新夫人は銀杏返しを結つて居た。
 それはそれは元気のよい気焔で、話が我知らずはづんだ。クラシカルな態度から急変して、二三ヶ月前に長い自然主義論を書いた此人は、今日は頻りと英雄崇拝主義――天才主義をとなへて、来るべき新ロマンチシズムの鼓吹者は自分だと云つた。“僕は必ず次期の新機運を起します。”と胸をそらした。真山青果の経歴なども話した。予は此人の此日の議論によつて益せらるる所は少しも無かつたが、対新詩社の関係や其他についての親切なる語には感謝した。
 午后金田一君を訪ねて夕刻かへる。松原正光といふ人が来て、頻りに牛の話や豚の話をした。八時頃森田白楊君が来た。平塚明子といふ女と二人日光の山に逃げた事について、二週間前に各新聞に浮名を謳はれた人……その故か、随分と意気沮喪して居た。然し自分は怎してか此人が昔からなつかしい。今は夏目氏の宅に隠れて居るとの事。(新詩社にて)

五月二日
 与謝野氏は外出した。晶子夫人と色んな事を語る。生活費が月々九十円かかつて、それだけは女史が各新聞や雑誌の歌の選をしたり、原稿を売るので取れるとの事。明星は去年から段々売れなくなつて此頃は毎月九百しか(三年前は千二百であつた。)刷らぬとの事。(昨日本屋の店に塵をあびて、月初めの号が一軒に七部も残つて居た事を思出した。)それで毎月三十円から五十円までの損となるが、その出所が無いので、自分の撰んだ歌などを不本意乍ら出版するとの事。そして今年の十月には満百号になるから、その際廃刊するといふ事。怎せ十月までの事だから私はそれまで喜んで犠牲になりますと語つた。
 予は、殆んど答ふる事を知らなかつた。噫、明星は其昔寛氏が社会に向つて自己を発表し、且つ社会と戦ふ唯一の城壁であつた。然して今は、明星の編輯は与謝野氏にとつて重荷である、苦痛を与へて居る。新詩社並びに与謝野家は、唯晶子女史の筆一本で支へられて居る。そして明星は今晶子女史のもので、寛氏は唯余儀なく其編輯長に雇はれて居るやうなものだ!
 話によれば、昨年の大晦日などは、女史は脳貧血を起して、危うく脈の絶えて行くのを、辛うじて気を熾んにして生き返つたとの事。双児を生んでから身体が弱つたといふ。父は中風であつたが、中風の遺伝ある者は、三十以上になつて本を読んではいけないと医者が云ふが、“怎して貴君、読む所ではない、自分で拵へるんですものねー。”――“尤も私、ズツト以前にもよく貧血を起す事があつたんですけどね。いつでしたか、国で虎烈刺が流行つた時でした。立つて戸外を見てゐると、夕ぐれで、砂埃が立つんですよ。それをね、あの埃の中にコレラの黴菌があるんだナと思ひますと、その(コレラ)と云ふ人が黒い衣服を着て歩いて来たんですよ。そして家へ入つて来て、黙つて私の身体の中へ入つて行くんぢやありませんか。……気がついた時は、水をかけたりなんかして大騒ぎでした。”
 それから又、此頃脱稿したといふ一幕物の戯曲“第三者”の話をした。女主人公(博士夫人)は女史自身で、一緒に自殺する男は森田白楊君、そこへ出て来て女主人公に忠告する大学生は茅野君を書いたのださうな。それから、モ一つ、去年の夏から起稿して半分書いた、万朝報へ約束の、題未定の小説も亦、森田君を書いたのだと話した。
 宮崎兄と小嶋君とせつ子へ手紙を書いた。
 二時、与謝野氏と共に明星の印刷所へ行つて校正を手伝ふ。お茶の水から俥をとばして、かねて案内をうけて居た森鴎外氏宅の歌会に臨む。客は佐々木信綱、伊藤左千夫、平野万里、吉井勇、北原白秋に予ら二人、主人を合せて八人であつた。平野君を除いては皆初めての人許り。鴎外氏は、色の黒い、立派な体格の、髯の美しい、誰が見ても軍医総監とうなづかれる人であつた。信綱は温厚な風采、女弟子が千人近くもあるのも無理が無いと思ふ。左千夫は所謂根岸派の歌人で、近頃一種の野趣ある小説をかき出したが、風采はマルデ田舎の村長様みたいで、随分ソソツカしい男だ。年は三十七八にもならう。
 角、逃ぐ、とる、壁、鳴、の五字を結んで一人五首の運座。御馳走は立派な洋食。八時頃作り上げて採点の結果、鴎外十五点、万里十四点、僕と与謝野氏と吉井君が各々十二点、白秋七点、信綱五点、左千夫四点、親譲りの歌の先生で大学の講師なる信綱君の五点は、実際気の毒であつた。鴎外氏は、“御馳走のキキメが現れたやうだね。”と哄笑せられた。次の題は、赤、切る、塗物の三題。九時半になつて散会。出て来る時、鴎外氏は、“石川君の詩を最も愛読した事があつたもんだ。”
 吉井、北原二君と共に、動坂なる平野君の宅に行つて泊る。床の間には故玉野花子女史の位牌やら写真やら、色んな人形などを所せく飾つてあつた。寝てから吉井君が、十七の時、明治座に演じた一女優を見そめた初恋の話をした。平野君は頻りに、細君の有難味を説いたが、しまひになつて近所の煙草屋の娘の話をする。眠つたのは二時半頃であつたらう。

五月三日
 平野君の室。八時に起きて、十時四人でパンを噛る。平野君は True love,its first practice.と云ふ西洋の春情本を出して、頻りに其面白味を説いた。此人達は、一体に自然主義を攻撃して居るが、それでゐて、好んで所謂其罵倒して居る所の自然主義的な事を話す。これは三年前になかつた事だ。自然主義を罵倒する人間も、いつしか自然主義的になつて居るとは面白い話だ。
 十二時千駄ヶ谷にかへる。玉野女史の母君が来て居た。渡辺紫とかいふ人と、モ一人社友が来る。四時並木君を訪うて、共に散歩、金田一君を訪ねて亀田といふ余程の変人に逢ふ。雨が降り出した。並木君は帰つたが、予は泊つた。
 二階に室があいたといふので、明日から此処に下宿する事に相談。

五月四日
 十二時千駄ヶ谷にかへる。緑の雨がしとしとと降る。気持のよい日だ。
 二六新聞へ入社する様に主筆に話して来たと与謝野氏が語る。新詩社附属の歌の添刪をやる金星会を、今後予がやる事にきまる。
 三時、千駄ヶ谷を辞して、緑の雨の中をこの本郷菊坂町八十二、赤心館に引き越した。室の掃除が出来てないといふので今夜だけ金田一君の室に泊る。枕についてから故郷の話が出て、茨嶋の秋草の花と虫の音の事を云ひ出したが、何とも云へない心地になつて、涙が落ちた。蛍の女の事を語つて眠る。(赤心館にて)

五月五日
 節  句。
 起きて二階に移る。机も椅子も金田一君の情、桐の箪笥は宿のもの。六畳間で、窓をひらけば、手も届く許りの所に、青竹の数株と公孫樹の若樹。浅い緑の色の心地よさ。
 晴れた日で、見あぐる初夏の空の暢やかに、云ふに云はれぬ嬉しさを覚えた。殆んど一日金田一君と話す。
 本田君、奥村君、向井君、小嶋君、宮崎君、せつ子へ葉書。岩崎君へ“緑の都の第一信”を書いた。
 京に入つて初めて一人寝た。“自分の室”に寝た。安々と夢路に入る。

五月六日
 晴れて暖かい日。綿入を着て汗が流れる。雑録体の“北海の三都”を七枚許り書き出した。十一時頃、同県の佐々木六太郎君が遊びに来た。東京に来て七八年、未だ何事をもなさぬ男である。恐らくは此後も何事をもなさぬかも知れぬ。然し、去年の夏、岩手山の裾野に二百五十人の人夫を使つて八十万本の落葉松を植ゑた話は面白かつた。山中一ヶ月の生活、二百五十人が一列になつて、利鎌を揃へて草を刈り払ふ様が目に見えた。草の香りがなつかしい。驚いて飛び立つ鶉、雲雀、夏の日が炎々と照り渡つて、目は汗の為めに開けなかつたと云ふ。水は馬に駄して村から運んださうな。
 夕、花明兄と語る。下宿屋の娘の話を二つ聞いた。何れも君が友なる小笠原文学士に関した話で、そして何れも花明君が其男と同宿して居た時の事である。一つは仙台三番町の佐々木といふ家の娘(竹ちやん)半玉に売られて、妾にされて、逃げて家に帰つた時は美しい娘であつたさうな。声もよく踊も上手で、よく母なる人が“香に迷ふ”といふのを舞はせる。半玉になつた時教へられたとかいふ男たらしの目付を、時々やる。年は十五で、満身火の如く燃えて居る女であつたさうな。一つは湯島新花町の蒔田といふ下宿、十八の玉ちやんはまだ小供の様な心を持つて居た。小笠原の弟は俊才で、開業医の免状をとりに来て居たが、いつしか玉ちやんに心を打込んだ。兄はそれを叱つて今后玉ちやんとは話もしてはならぬと命ずる。ところが其后兄と玉ちやんは毎日起居を同じうするといふ具合になつた。弟は僅か二十一で首尾よく免状をとつて郷里に帰る時、“自家撞着”といふ字を沢山かいた紙を兄の机の下に置いて行つた。或夜、男が女の姉の事を何とか云つてから、真白の玉ちやんの心は変つた。そして其激しい情を我が友の上に注いだ。無論これは男へ対する面当だ。其後下宿を変へた。二年許り経つてから柳原で一度見た。今は何処に居るやら……
 金田一君といふ人は、世界に唯一人の人である。かくも優しい情を持つた人、かくも浄らかな情を持つた人、かくもなつかしい人、決して世に二人とあるべきで無い。若し予が女であつたら、屹度この人を恋したであらうと考へた。

五月七日
 起きると、心地よき初夏の日影、公孫樹の幹を斜めに照して居た。古本屋へ行つて電車賃を拵へる。
 九時千駄ヶ谷へゆく。明星が今日出来た。家から来て居る葉書と小包を受取つて、二時与謝野氏と共に電車に乗る。牛込の停車場で、賑やかな栽仁宮の葬式を電車の窓から見物して、お茶の水で別れて帰る。早速小包をとくと、なつかしの妻が、針の一目一目に心をこめた袷に羽織、とり敢へず着て見て云ふ許りなく心地がよい。中に一通の手紙があつた。
“緑の都の第二信”を吉野君へかく。
 植木てい子さんから葉書、返事を出す。並木君平野君へも転居の知らせ。
 森鴎外氏に先夜の礼状を認めた。

五月八日
 快く目をさます。晴れたる空に少しく風立ちて、窓前の竹のさやらぎが、都の響と共に耳に入る。ああ、此千万の声と音とを合した、大いなる都の物音! 朝な夕なに胸の底まで響く、頭の中を擽ぐる様に快い。此物音と共に、今我が心には、何かしら力に充ちた若き日の呼吸が、刻一刻に再び帰つて来る様な気がする。
 実を吐くと、予は函館からの船の中で、東京及び東京の人が如何許り進んで居るかも解らず、心細さ頼りなさに胸は怖れの波をあげた。横浜に上陸しても、一夜を徒らに宿の三階に寝た。新橋に着いては、恐ろしい不安に犇と許り胸を引しめられた。然し、思つた程の事は一つもなかつた。東京には依然として其日暮しの議論をして居る人が多い。
 予は自然主義を是認するけれども、自然主義者ではない。或人は自然主義万能を説く。或人は今夜にも大反動が起つて自然主義が滅びる様な事をいふ。どちらもウソだ。自然主義は、今第一期の破壊時代の塵を洗つて、第二期の建設時代に入らむとして居るだけだ。此時期の後半になつて、初めて新ロマンチシズムが芽を吹くであらう。然し此の新ロマンチシズムが、如何なるものであるかはまだ何人の頭にも上つて居らぬ。サテ終ひになつて、大なる意味に於ての象徴芸術が最後の錨を投げるであらう。
 書きたい事は沢山ある。あるけれどもまだ書かうと思ふ心地がしない。サテ短篇よりは長篇を書きたい。長篇を書いては、書ききれぬうちに飢ゆるであらうと云ふ心配がある。早く何らか下宿料を得る途がつけばよいがと考へる。
 一時、京橋のてい子さんから葉書。
 二時頃から夜の十二時迄に、短篇“菊池君”の冒頭を、漸々三枚書いた。書いてる内にいろいろと心が迷つて、立つては広くもない室の中を幾十回となく廻つた。消しては書き直し、書き直しては消し、遂々スツカリ書きかへて了つた。自分の頭は、まだまだ実際を写すにはあまりに空想に漲つて居る。夏目の“虞美人草”なら一ヶ月で書けるが、西鶴の文を言文一致で行く筆は仲々無い。

五月九日
 朝から“菊池君”に筆をとつた。
 三時頃、森鴎外先生から手紙、時々訪ねてくれるやうにと云ふ事が懇ろに書いてあつた。金星会の歌が一封着く。
 六時頃千駄木に森氏の門を叩いたが留守。帰路与謝野氏に逢つて一緒に平野君を訪問した。与謝野氏は頻りに吉井北原二君の再び新詩社に帰らむことを希望して居た。十月に一百号を出して、一先づ明星をやめ、社友組織を解いて、新たに何か薄い雑誌にしようといつた様な語も出た。十時打つて帰る。馬鹿に足の早い人で、おつ付いて歩くには容易でない位だつたが、初夏の夜風の快さが胸の中までも洗ふ。
 帰つて見ると、七時頃京橋のてい子さんが訪ねて来たさうで、鉛筆の走書きの結び文が残してあつた。江東落花の日の芝居から、四年目の今、どんなに変つて居る事かと、留守にしたのが残念な様な心地。あの時はまだ十六の、心に塵一つ翳のない、よく笑ふ人であつたつけが。
 二時すぐる迄筆を執る。

五月十日
 この月もモウ十日になつたかと驚く。朝から空が曇つて居たが、午後になつて降り出した。少し寒さを覚える。日曜日。
 朝にてい子さんから、午后に節子から葉書。
 五時頃、窓の下をうつむいて通る人がある。あの人だなと思つたら矢張その人であつた。てい子さんが来た。あの時は十六であつたが今はモウ十九、肥つて、背が高くなつて、話のやうすも怎うやら老けて居るが、それでも昔の面影が裕かに残つて居る。話は唯昔の事許りであつたが、金田一君も来合せて、いろいろとアノ芝居の時の人々の噂が初る。少し暗くなつて洋燈をつけたが、七時四十分頃に帰る。三丁目の電車の所まで送つた。
 金田一君が茶器を買つて来てくれた、その外に金まで貸してくれた。
 今日は意外に筆が進んで、夜一時までに“菊池君”が二十一枚目まで出来た。
 帰つて来た時、室が何だか物足らず、淋しく感ぜられた。

五月十一日
 雨。寒い。
 朝八時に起きて、夜の十二時まで“菊池君”の筆を進める。誰か来るかと思つて居たが、誰も来ず。淋しい様な、お蔭で時間が費えぬ様な……。昼飯は花明兄と一緒に。
 新詩社内に宛てた宮崎君の手紙と金星会の規約請求の手紙二通、与謝野氏から廻してよこした。てい子さんから昨夜の御礼の葉書。
 宮崎君へ手紙を書く。小説中の会話、特に女の会話に困つてる事をこぼしてやる。
“南の人北の人”と云ふ題で、岩田君及び予に対するてい子さんの事を書かうと思つた。少し罪な事だけれど、アノ芝居の事から書き起して、一番終ひに、
“矢張私は一人ぼっちなのよ。”
と、てい子さんに云はせて見たい。
 モ一つ、“下宿屋の主人”の事を書かうと思つたが、これはまだ頭で纏まらず。
 モ一つ、大井蒼梧君の事を、与謝野氏が蛮気が足らぬと云つたのを思ひ出して、(万里君は選ばれざる人と云つた。)一つ最後に蛮気を発揮させるものを書かうと思つた。

五月十二日
 今日も一日雨。
 朝から頭の加減が悪くて、昼迄にたつた三枚しか書けぬ。疲れたのだと思つて、今日一日だけ“菊池君”を休む。
 夕方、小樽の藤田武治高田治作へ手紙かく。石の巻なる新渡戸仙岳氏へも書いた。金星会の清規と共に送る。
 はてしもない空想に耽つた。雲に乗る様に空想に乗つて、ズーツと天に上つて、ドタリと落つる。其時の気持の悪さ。
 てい子さんから葉書。
“菊池君”の、書いただけを読んで見る。ト、モウそれはそれはたまらぬ程イヤになつた。恰度、自分の顔の皮を剥いで鏡にうつした様で、一句一句チツトモ連絡がなく、まるで面白くも何ともない事を、強ひてクツ付けて、縄でからげた様で、焼いてでもしまひたくなつた。然し、これは詰り頭の疲れたせいだと思ひ返して寝る。何といふ事もなしに頭がクサクサする。

五月十三日
 今日は漸く雨が霽つて、浮雲が所々。寒さも少しなほつた。
 九時に起きて、顔も洗はずに“菊池君”を読んで見る。矢張自分の書かうとした事が其儘書かれて居る。怎も不思議だ、昨晩ナゼ那麼に醜く見えたらうと考へて見た。
 天気が快復して、また一日筆を進める。
 今朝もてい子さんから葉書。
 怎したものか、僕は書いてるうちに色ンな事が頭に浮んで来る。それがまたうまく纏まる。初め五寸の幅で一尺の長さに書かうとしたのが、いつかしら八寸幅の一尺五寸の長さになる。ト、又別の事がクツ付いて来て、一尺の幅二尺の長さになる。“菊池君”もさうだ。初め菊池君だけ書かうと思つたのが、何時しか菊池君とお芳の事を書く気になり、今日からは寧ろ釧路のアノ生活を背景にして、叙説者自身と菊池君との間に、或関係の生じて行く所、――詰り人間と人間の相接触して行く経路――を主眼として書いた。初め四十枚位と思つたのが、今日の勢ひでは百枚以上になりさうになつた。

五月十四日
 十七日に歌会をやるといふ与謝野氏からの葉書。返事出す。
 頭が軽い。が、何か知ら心が落付かなくて、思ふ程進まなかつた。寝る迄に六十一枚目迄“菊池君”の筆を進める。
 三時頃であつたらうか、今年初めての雷の音がしだした。段々近かくなつてくる。自分は雷を好きなので、窓を明け放して盛んになるのを待つてると、風が颯と落して来て、公孫樹の葉がヒラヒラと翻へる。雨が落ちて来たと思ふと、其儘晴れて雷の音も何処へやら。
 七時頃、てい子さんが訪ねて来た。スヰトピーの花を持つて来て呉れた。昔の話、今の話、爽やかな語は、純粋の江戸言葉なので、滑かに、軽く、縷々として糸と続く。予は此弁を知りたいと思ふので、幾度か腹の中で真似をして見るが、怎うしても恁う軽く出来ぬ。十時十分になつて帰る。電車まで送つて来る。
“今を昔に返したいと口で云つて、昔の心持で今居たいと思つてるのがてい子さんだ”テナ事を考へる。

五月十五日
 快く眠つたので、九時半漸く目をさました。
 ト、てい子さんが来た。空が美しく晴れて居て、此頃目について大きくなつた公孫樹の葉が日影に透く。一緒に昼食をとつて、三時近く帰つて行く。
 日中の夢は“昔”と云ふ語で初まつて、“今”といふ事実に覚める。“昔”は“今”を孕んで、“今”が“未来”を孕む。“昔”は追憶に残る夢で、“未来”は予測に萌す夢である。予測から追憶に移る一刹那の“現在”に、夢が“事実”を一寸見せて直ぐ隠す。“現在”の女は“胸が痛い”と云つた。
 心の落付かぬ日で、何も出来ぬ。六時半頃千駄木に森先生を訪ねる。留守であつたが、上り込んで一時間許り待つて居ると、帰つて来られた。話は[以下余白]

五月十六日
 珍しく六時に目をさます。
 宮崎君から、人の妻となれる其恋人の、お産をして唯三日目に訪ねて行つた際の詳しい手紙が来た。
 てい子さんから長い長い手紙。
 百千万の物の響が渦を巻いて居る大都の中に美しい火が一つパツと燃えて、其火が近いて来る、近いて来る……近いて来る。
 九時頃家を飛出して、砲兵工廠前から初めて市街電車に乗る。大番町に小泉君を訪ねて、千駄ヶ谷。与謝野氏が隣りの生田君の所に居るといふので、庭伝ひにゆくと、栗原古城君も来て居た。十二時に与謝野氏方で昼食、また生田君へ行つて三時頃帰る。小樽の藤田武治と高田紅果の厚い厚い手紙を受取つて。
 藤田の手紙を歩き乍ら読む。それは、小樽日報今年の新年号の新体詩で三等をくれた遠藤夕星といふ人について詳しく書いてあつた。
 並木君を訪ねたが留守。渦まく塵の中を、生田君から借りた“花袋集”の“蒲団”を読み乍ら下宿へ帰る。家庭といふものが、近代人に何故満足を与へぬのかと云つた様な事を考へた。花は嵐が無くても自然に萎む。琥珀色の麦酒も香がぬけては苦くなる。恋ば矢張花だ、酒だ、萎ませぬ様にするには、真空な硝子の箱に入れて置くに限る。香をぬかさぬ様に堅く栓をして置くに限る。
 男と女は、結婚しない方が可いぢゃないかなどと考へて宿に帰る。色々と頭が迷つて居た。神経痛であらうか、左の胸が痛い。四辺がすつかり暗くなるまで、洋燈つける事も忘れて、椅子に凭れて居た。轟々たる都の響の只中から、幻が唯一つ花の様に湧いて、近づいて来る、近づいて来る。
 出かけ様と思つてると、並木君が来た。金田一君と三人で語る。並木君は十時に帰つたが、二人は一時まで話した。予は遂に予の心の迷ひを語つた。手紙を読んだ。慰めてやるべしと友は云つた。金田一君は“堀内君”の同性の恋を語つた。
 心は唯何となく痛んで居た。枕についても色々の事が頭に浮んだ。深い生命を呼吸する様な心地がする。……

五月十七日
 十時に起きた。雨。日曜日。金田一君の室で話してると原達君が来た。
 朝飯と昼飯を一緒に食つて、出懸ける。雨の都の電車、日曜ながら人が少なくて、何となく詫しい様な心地がする。色々な事を胸に描いて、中橋広小路で降りる。一町許り左に折れて右に入つた小路が大鋸町三番地、四年前に見覚えのある門札には行書で“植木千子”と書いてあつた。
 お母さんな人が飛び立つ程喜んで迎へてくれた。快活な、切下髪の、四十二三の人で、晴渡つた面に云ふ許りない男優りの健気さが現はれて居る。話は主に四年前の落花の春、江東の花に催した芝居の追憶で、それからそれと尽きぬ。椽に雨が這入つて、二坪の庭は植木鉢に足の踏場もない位。小ヂンマリした趣きに何かしら下町式の匂ひがある。
 すしを御馳走になつて三時十分前に辞す。小路を出ると後から我名を呼ぶ声、それは贈物を包んだ風呂敷を持つて、追かけて来た貞子さんであつた。
 四谷見付まで電車で行つて、甲武線に乗換。平野吉井北原三君と一緒になつた。
 千駄ヶ谷の歌会であつた。平出君川上君茅野君は昔に変つて居ない。松原君中嶋君、恒川君田口君大貫君東条君其他、主人夫婦を合せて十七人。題は応、末、虚、趣、組、の五字。一人五首で、清書が済んで選をする時隣の生田君も見えた。吉井君の
   嵐よりやや和かく胸を吹く妬みにまさる趣きはなし。
と、晶子女史の
   さうびちる君てふ人はやまひしてほのかに知りぬ死の趣きを
と云ふのが一番気に入つた。自分のから二首、
   火の如き少女つと出づ虚なる都の響き轟たる中ゆ。
   手に手をとりふと他を思ふ束の間に一人死ぬべき末期を怖る。
 この会に、吉井北原二君は正月の脱会以後初めて新詩社に来たのだ。平出君は七年目で歌を作つたと云つて居た。
 十時にかへる。

五月十八日
 晴。今日より陽気に復す。
 朝に斬髪して湯に行つて来た。気が軽々とした。
“菊池君”は、余り長くなるので、筆を止めて今日新たに“病院の窓”の稿を起す。釧路の佐藤衣川の性格を書くのだ。
 二時、金田一君来て話してると並木君が来た。間もなく貞子さんが窓の下から兄さん兄さんと呼んだので、二人は下の室に行つた。貞子さんは、今日は浅草の観音さまへお詣りに行くのだと云ふ。話してるうちに夕飯。穏やかな夕べが都の賑ひの音を伝へて、煙草の味がうまい。八時頃三丁目迄送つて帰つて来て、すぐ又金田一君と弥生亭へ行つて洋食。今日の事を語り合つて帰つたのが十一時。

五月十九日
 晴。気分がよし、天気はよし、妙に気がはづんで、“病院の窓”を二十枚も書いた。

五月二十日
“病院の窓”を十枚許り書いた。思ふ存分に書ける。少し筆をひかへなくちやならん位、自由に筆が動く。“菊池君”の方を読み返して見たが、駄目だ、駄目だ。これは全部書改めなくちやならん。
 三時頃に貞子さんが来た。来た時は非常に元気がよかつたが、段々と沈んで来た。噫、段々と沈んで来た。昨夜決心したと云つて居たが、其決心が、逢つて話してるうちに鈍り出したのだ。温かな夕。
 八時頃にかへつて行く。金田一君に書いた分を読んで貰つた。
 十時頃、貞子さんが机の曳出に入れて行つた厚い状袋を見つけて、読む。半分は鉛筆の走書。後の半分は墨の走書。罫紙十六枚に書かれた小説であつた。噫、小説であつた。彼女自身が彼女自身の事を書いた小説であつた。清く思切ると云ふ決心を書いた小説であつた。女の名は千代子。千代子!――四年前の芝居に玉助に扮した時、貞子さんは植木千代子といふ名を用ゐた事があつた!
 寝てから御風訳の“その前夜”(ツルゲネフの On the Eve.)を半分程読む。どの人物も、どの人物も、生きた人を見る如くハツキリとして居る書振り! 予は巻を擲つて頭を掻きむしつた。心悪きは才人の筆なる哉。

五月二十一日
“病院の窓”小気味よく筆が進む。四十四枚目まで書く。
 新渡戸仙岳氏から葉書。石巻の女学校をやめて、岩手日報に居るといふ事。この先生の風変りな恋(?)の話を金田一君から聞いた事を思出して、矢張小説中の人だなどと思ふ。
 今日は袷で少し暑かつた。
 四時頃から八時頃まで金田一君と語る。晩餐も一緒。
 十一時少し前に小泉君が博文館の何とか(金子?)云ふ人をつれて遊びに来た。三十分許り話してかへる。旧時代の人達だ。

五月二十二日
 朝せつ子から手紙。母の健康のあまり宜敷ない事を伝へて来た。来月になつたら先づ父を呼ばうかなどと考へる。
“病院の窓”筆を進める。
 十二時少し前に並木君が来た。種々小説について語り合つた。恋の話、函館の友の話も出た。此男は東京へ来て馬鹿に元気がよくなつて居る。三十迄、イヤー生恋をすると此男が云つた。人妻の淋しさなどを語つて四時半頃かへる。
 一寸、出て、名は知らぬが白い筒形の花を買つて来て床の柱にかけた花挿にさす。帰に○の○○○さん――三十近い人で四つも年下な○○○○○と独身の寂寥を医す秘術を尽した末懐妊した――に偶然遇つた。昔より若く、美しくなつてゐる。若く! 美しく! 女は矢張恋と性欲の満足が生命だ。
“On the Eve”を読みつづける。噫、インサロフとエレネの熱き恋! 予は頭を掻乱される様だので、室の中を転げ廻つた末、“ツルゲーネフ! 予の心を狂せしめんとする者は彼なり”と書いた手紙を下の金田一君にやる。金田一君が来た。予は唯モウ頭が乱れて、“ツルゲーネフの野郎”と呼んだ。そして必ずこの On the Eve と競争するものを今年中にかくと云つた。

五月二十三日
 八時に起きる。藤田高田二君からの葉書と金星会へ二戸の小田嶋孤舟からの歌が来た。
“病院の窓”の筆を進めて六十二枚目。
 昼頃、On the Eve を読み了つた。ツルゲーネフは矢張十九世紀の文豪で、予は遂に菊坂町の下宿に居て天下をねらつて居る野心児であつた。彼は死んだ人で、予は今現に生きてゐる……
 彼は小説をあまりに小説にし過ぎた。それが若し真の小説なら、予は小説でないものを書かう。
 予は、昨夜彼と競争しようと思つた事を茲に改めて取消す。予の競争者としては、彼はあまりに古い。話上手だ、少し怠けた考を持つて居る。予は予の小説を書くべしだ。

  人の一生-十九世紀まで

 これは十九世紀までの小説に現はれたる人の一生であるが、今はよほど変つた。

  人の一生-現在

       ……………………………
 四時半貞子さん来る。予は今此人について東京の風俗と言葉を習つてる。この数回でよほど、所謂東京語の調子を覚えた。いろいろな珍しい語をもきいた。会話が怎やら日一日とスラスラ書ける様な気がする。金田一君も来て話す。貞子さんは七時頃に帰つた。今日は百合の花の蕾を三本もつて来てくれた。
 金田一君と話す。予は予の自然主義的傾向は東川学校宿直室に於ける“世の中だ”と云つた語に初まると語つた。そしてるうちに
 “舞踏”(虚無の酒の上の舞踏、予の釧路生活)
 “老母”(我が母、汽車で岩見沢へゆく時の、)
の二材料を得た。
 九時頃、金田一君と下坂一郎君と三人で四丁目の“やぶ”へ行つた。予は今日馬鹿に噪いで、盛んに皆を笑はした。金田一君の話のうち、
 “海城中学の書記をしてる音楽家”
の話を材料だと思つた。横山糸子といふ女楽師との事。其女の父と男との会話を聞くのだ。
“女学生は遠くに居るうち男の方を見て歩いて、近づくと急にスマス。男学生は遠くでスマして、近くで見る。”と金田一君が云つた。面白い!
 予は長篇を書きたくて仕様がない!
 十一時に帰つて、頭が少し疲れてるから、此日誌をつけて寝る。

五月二十四日
 日曜日。曇。昨夜は日誌をかいてから、不図頭に浮んだ詩の断片二つ三つ書きつけて寝た。
 六時半何やら夢を見て居て、何の訳ともなしに目が覚めると、枕元に白いきものを着た人が立つて居る。それは貞子さんであつた。食前の散歩の序、起してやらうと思つて来たとの事。
 思出して見たが、何の夢だか解らない。起きると宮崎君から至急といふ手紙。ああ。
 京子が熱が出るので医者に見せたら、奥歯が生えるのだと云つたと云ふ事は、一昨日の手紙にもあつたが、何としてもよくないので大条といふ別の医者に見せると大脳何とか云ふ病気で、初期では大分重いのださうな。昏睡! ああ、予の頭は氷つた様な気がした。昨夜かいた断片のうちに、幼児の墓に二十年振で父が帰つて来て、お前は死んでよい事をしたと云ふ意味の詩がある。予の頭は氷を浴びせられた! 京子の昏睡!
 然し、打電しようと云つたのを、医者が其必要がないと打消したと云ふのと、此手紙を書いた朝には、昏睡からさめて、物を言つたと云ふので、漸く心を安めた。せつ子の心と友の情だけでも屹度癒る。さうだ、友は“屹度なほす”と書いてよこした。ああ二百里外の父は!
 貞子さんは八時少し前に帰つて行つた。
 予を思ふといふ此人が、例になく朝早く来て予を起した。起されて起きて、遙かなる海の彼方の愛児が死に瀕してるといふ通知! 予は、噫、冷やかなる自然の諧謔に胸を刺された。
 不取敢せつ子へ手紙をかいた。そしてかの断片と手紙を持つて金田一君へ行つた。色々話して、京子は決して死なぬと心をきめた。決して死なぬと信じた!!!
 小説を書く日ではない! 予は三時頃までに“小さき墓”“白き窓”“何故に”“泣くよりも”“白き顔”“嫂”“弁疏。”“殺意”の八篇の詩を書いた。書いて居て我ながら胸を抉られる様な心地がした。“小さき墓”を除いて、外の七篇を“泣くよりも”と題して千駄ヶ谷の与謝野氏に送つた。
 晩餐を一緒に食つて、八時半まで金田一君と話した。予は、亡き姉と其子等の事を語つた。友も亦、其姉――女にして然も女でなかつた不幸なる姉上――の話をされた。自然は残酷なものだと思つた。それから、一つ年上の女中の事、関流の数学の達人、夏の真昼にも三角術を楽みとして居るといふ漢学好の伯父さんの事。小笠原文学士の事なども話題に上つた。
 何をするともない。誰かに手紙書かうかと思つたが、それも厭。論語を読んで少し落付いて十時前に枕についた。例にない事だ。
 紅緑の“榾”の中の「行火」と、花袋集の「マウカ」とを読んだ。何かしら、冷たい疲れが頭をおしつけて居て、……

五月二十五日
 起きると天気。京子の事が心に浮ぶ。
 金星会へ来た三十銭の小為替を受取りに本郷郵便局へゆくと、洋服の紳士が三百五十円の為替を受取つて居た。三百五十円と三十銭! 其紳士と予と、予の方が背が高いのに、などと云つた様な事を考へる。吉野並木二君へ葉書。
 帰つたら宮崎君から葉書。二十三日には京子大分よくて、乳は充分のむから、少し頬が肉付いた様だと云つて来た。気も昨日よりシツカリした様に思はれると。予は胸を擦つて目を瞑つて、ものに祈る様な心地を抱いた。京子が死なぬと思ふと、気が少し晴れる。
 昨日一日休んだ“病院の窓”を書つぐ。興が加はつてスラスラと書ける。夕方金田一君が来て、膳を並べて晩餐。少年時代からの思出話に花が咲いて、予が幼時の吾儘を話すと友は腹をかかえて笑つた。盛岡に移つて小林喜四郎の話、人取の話……甚麼機からか予が渋民に於ける生活を話すと、九時半頃、金田一君は泣いて、嗚呼、泣いて下へ行つた。
 それから家の事が考へられた。然うだと思つて今夜中に脱稿の意気込で筆をとつたが、二時半になると油が尽きて洋燈が消えた。油が尽きるまで書いたと思ふと異様な満足の情が起つて、暗の中で床を布いて寝た。
 この日貞子さんから長い長い手紙。その手紙の事が枕の上で考へられて、……いつしか夢。

五月二十六日
 起きたのが十時。少し疲労してゐる。
 十二時頃からまた書き出して、“病院の窓”九十一枚、午后三時半少し過ぎ脱稿した。
 アト二十六行で終りになる時、松原君からの葉書とせつ子からの手紙、京子は余程よく、脳も腸胃も大丈夫だが二十四日夕刻医者が来た時、軽いヂフテリヤだと云つて血清注射をやつたとの事。ああ、ヂフテリヤ! 妻の心は! と思ふと涙が落ちた。
 急いで脱稿すると、満足の心が軽くて疲労の方が重い。金田一君が読んでくれた。それから直ぐ中央公論の瀧田氏へ行つてきてくれるとの事で、予は大急ぎで、つけ残しの振仮名をつけた。夕飯の膳をひかへて置いて。
 予は此時、七八年前の事、まだ中学に居て、泉山の何とかいふ人から雁皮紙にかいた人情本の原稿を岩手日報に売る事を頼まれた事を思出した!
 金田一君はすぐ行つてくれた。そのあとに、予は手紙をせつ子にかいて、同君から借りた二円を同封して投函して来た。
 帰つて曰く、留守だつたので置いて来たと。それから西洋苺と夏蜜柑で、脱稿の祝賀会だといつてビールを飲んだ。友の情は!
 十一時まで語る。

五月二十七日
 六時四十分頃であつたらうか。目を覚ますと枕辺に座れる白衣の人、散歩の序といつて貞子さんが来てゐたのだ。降りそめた細い雨に誘はるる怨言は、雨によく調和してる。
 一日雨。そこともなく疲れてゐる。二三日前に書いた詩を第二集に写して日を暮す。数限りなき思出が、断間もなく湧いた。
 夕飯は金田一君と共に。
 夜八時四十分頃。女中が一通の電報を持つて来た。開かぬうちの胸さわぎ。噫、京は遂に死んだかと思ふと身体中が寒くなつた。が、
“ケイクワヨシ、イサイアトヨリ”。
 予はホツと息をして、胸を撫で下した。涙が! 早速宮崎君へ葉書。
 何をする気にもなれぬ。十時頃例になく寝た。枕の上で紅緑の“榾”を読む。

五月二十八日
 今日も終日雨。おそく起きた。
 花瓶を買つて来て、柳草をたてる。
“母”の稿を起さんとして、四行かいて裂いて了ふ。心が妙に沈んでゐる。宮崎君から手紙、昨夜の電報より前に出したので、京子のヂフテリヤ明日にならねば生死わからぬとかいてある。其明日は乃ち昨日なので、注射の結果死なぬことになつたのだ。いろいろの事が書いてあつた。噫、予は! 二百里外の父の心は!
 すぐ手紙かいて出した。感謝すると云ふ語の外に云ふべき事を知らぬ。
 夜になるとすぐ枕についた。雨の音、竹の声、古い日誌を出して見て幾度も幾度も泣いた。死んだ姉! 其子等! ああ渋民! 函館! 小樽! 泣くべき事が、かなしいかな、予の半生に極めて多い。父の事も泣いた。母の事も泣いた。死の淵に臨んでゐる京子、それが怎しても肥つた血色のよい顔だけ目に見えるので、どうやつれたかまるでわからぬ。此可愛い京ちやんが、今二百里外の海の彼方で死ぬほどの大病! と思ふと胸の中は!
 ランプは早く消したが二時まで眠れなかつた。

五月二十九日
 雨は上つたが、灰色の雲が渋く低れて全部を圧してゐる。障子も煙草も心も湿り切つて居た。朝に頭を洗はなかつたので、髪の根がムヅ痒い。床の中で手紙を四本かく。大島君へ一通、堀田姉へ一通、橘姉へ一通、モ一通は函館の弥生校の遠山高橋日向の三人へ。
“あこがれ”以後の作のうち比較的拙くないのを直して第二集へ写す。
 三時頃並木君が来てくれた、この人は東京へ来てから馬鹿に元気がよい。其理由は色々あるが、青梅の女の話と麻布にゐるピアノの女の話で説明されてゐる。あゝ、若々しい恋をゆめむる時は斯くも花やかに元気がよいものかと。
 話をしてるうちに予も多少元気を得た。七時半頃帰つてゆく。

五月三十日
 十時に起きて札幌なる向井君のハガキを見る。道庁の属官になつたと。
“母”三十一枚、午前十一時から午后十時半まで書いて脱稿した。
 せつ子から、京の病気よほど経過がよいとの葉書。貞子さんからも。
 此頃、夜に寝つかれぬ癖がついた。

五月三十一日
 今日も十時すぎに目をさました。
 午前と午後に二度、金田一君が中央公論の滝田氏へ行つてくれたが、二度共留守だつたとの事、“病院の窓”の結果がわからず了ひ。代りにもと持つて行つた“母”は唯戻り。
 暑くなつた。空が晴れた。晦日に下宿料を払ひかねて、隣室で銭の音のするのを聞くのは、余り感心したものでもない。
 溌剌たる文章を書いて見たいと思ふ。
 夜になつてから、“天鵞絨”の稿を起して、寝るまでに(一)八枚書いた。これは田舎から逃げて東京に出て、三日女中をして帰る女の事をかくのだ。予の閲歴とは無関係だが、其田舎をば渋民にした。
 外に
“底なしの恋”
といふ題で、糊口の途を失つた無能な小役人の事、舞台を盛岡にして書かうと考へた。
“姉”
といふのも考へた。

       
水無月

六月一日
 昨夜、一時頃に枕についたが、怎しても寝つかれなくつて、到頭、夜が明けて女中が窓の戸を明けるに来た時まで、うつらうつらと物思ひにくらした。夜が明けてから三四時間眠る。
 十一時湯に行つて、帰りに千鳥草といふのを買つて来て瓶にさした。
 せつ子から手紙、京子はモウ殆んど全快して、薬だけは当分飲ませねばならぬが、医者はモウ安心だと云つたと書いてある。すぐ返事出した。
 伊東圭一郎君へ葉書出した。貞子さんの葉書にも返事出した。
“天鵞絨”を書きついで、午前一時までに三十一枚目まで。金田一君、けふも滝田氏へ行つてくれた。夜貞子さんが十五分間許り来て行つた。
 此夜は三時頃に眠れた。

六月二日
 十時に起きて顔を洗ふ時、幾歩の庭に落ちた青梅の実の二つ三つ、満三年前の帷子町の住居を思出した。
 堀田秀子さんから、紫インキで書いた手紙、予の教へた子等の消息がこよなくも嬉しい。新設の高等二年には、栄二郎と慶三が入つたと。封じこめたまるめろの花にも故里の匂ひがする。あはれなつかしき渋民の閑古鳥!
 並木君が六時半に来て十時まで話した。青梅の女が帰つて行つたとて悄れてゐる。予に、ストライキの小説を書けと云つた。
 今日は午前一時までに、“天鵞絨”三十枚余かいて第八回の半ば。
 満足を以て枕についたが、不眠症のため、四時の時計の鳴るのまで聞いた。色々の妄想に耽つた。栄次郎と慶三を、田植休みに金があつたら東京見物に呼びたいと思つた。眠る頃には戸の隙に黎明の色。

六月三日
 今日は暑い日であつた。一昨年九十度の夏に袷をきて過した事を思出した。
 三時頃貞子さんが来て日暮帰る。それから金田一君と十時過ぎまで語る。
“病院の窓”と“母”、帰つて来た。無事に!!
 夜二時半まで書いて油がつきた。“天鵞絨”二十五枚。
 今日から巻煙草が尽きる。
 此夜も四時の黎明まで眠らず。

六月四日
 お昼ですと云つて女中に起された。
 二時頃並木君来た。話をしながら“天鵞絨”九十三枚遂に脱稿。
 夕方金田一君来て、鎌倉の寺の宿料の安い事をきく。一つ鎌倉に遁げて二月も書かうかと考へた。
 ランプをつけて“天鵞絨”のしまひ一枚書き直して、九十四枚になる。原稿紙四枚残る。
 八時過、“病院の窓”と“天鵞絨”持つてつて鴎外先生の留守宅に置いて来た。暗い路をあるいてゐて悲しくなつた。久振で歩いたので、フラフラする。目が引込む様だ。俺は此位真面目に書いてゐて、それで煙草代もない、原稿紙も尽きた、下宿料は無論払はぬ、と思ふと、傾きかけた片割月の悪らしさ。
 明日からは、何か書かうにも紙がない。インキも少くなつた。
“母”を生田君に送つた。
 与謝野氏から、来いといふ葉書が来た。

六月五日
 昨夜書いておいた手紙を森先生に送つた。
 書かうにも紙がない。半日寝ころんで金田一君から借りた杜甫の詩巻を読んだが、夜になつてはそれも飽きた。
 堀田秀子さんへ手紙書いた。
 無聊の圧迫程恐ろしいものはない。何といふ事もなき不愉快。心は決して楽しい方へ向かぬ。噫、紙がないために何も書けぬとは何といふ情ない話だらう!
 十二時頃になつて寝たが、例によつて眠れぬ。一時半に再びランプをつけて、
  “盃底の火”(底なしの盃)
  “青梅”
 ○“裏の家”
  “朝”
の四篇を、仕よう事なしに想を構へた。

六月六日
 十一時に起床。間もなく貞子さんが来た。いろいろな衣服の地や色の事を聞いた。二時半に帰つてゆく。
“朝”を一枚許り書いたが、与謝野氏が来いと云つて来てた事を思出して、音楽通解といふ本を売つて電車賃を拵へた。千駄ヶ谷にゆくと、芊々と生ひ繁つた夏草に風が泳いで、二週間も殆んど外出しなかつた目には異様になつかしい。例の四畳半には生田君も来てゐた。やがて馬場狐蝶氏も来られた。
 ドストイエフスキイの小説“罪と罰”中の人物が、貧乏して貧乏して、何所か遠方へ行かうにも旅費がなかつたので、妻の一張羅の衣服を典ずると、其旅費と、家族が二三ヶ月間生活するだけの金が出来たと云ふ。それが貧乏ならいくら貧乏しても可いと笑つた。
 馬場氏は、自然派の文が感情を軽んじてゐる事を難じ、且つ若いうちは延ばすに可いだけ延ばして書くべしと云つた。藤村の“春”については、真摯でない点があると云つた。
 此人は常に一寸捻くれた頭を持つた人で、其いふ事がキビキビしてゐる。学生の堕落といふ事を話した時、今日が昔に比して学生が悪くなつたのでなくて、詰り悪い事をする様な者まで学生になる程、教育の範囲が広くなつた、と評した。
 晩餐を了へてから帰つて来た。金星会の規則書請求が数通に、歌が二人分。
 その三十銭の為替二枚を持つて行つて、文友堂から原稿紙とインキを買つて来た。

六月七日
 日曜日。朝七時半女中に起して貰ふ。
 十時頃、動坂に平野君を訪うた。途中、中学時代の同級生佐々木直哉君に逢つた。
 平野君は卒業論文執筆中で、非常に急がしくしてゐた。歌の話、小説の話。昨日森先生宅に歌会があつたさうなが、僕には間違つて葉書を出さなかつたので、迎ひの者をやらうかとまで云はれたさうだが、そのうちに遅くなつたから止めたとの事。その時予の小説についても話されたさうで、春陽堂に電話かけたと云つてゐられたとか。
 露西亜小説を二冊借りて、十二時半、御馳走になつて帰る。森先生に寄つたが、まだ寝てをられるとの事。
 二時から、金田一君と二人、大学構内の池を見て、上野の太平洋画会を見た。吉田博氏の作に好いのがある。月夜のスフインクス、それから、荒廃した堂の中に月光が盗入つて一人の女が香を炷いて祈祷をしてる図など。
 出て来ると、盛岡の人赤石君に逢つた。一緒に氷をのむ。
 救世軍が何か頻りに喋つてゐる。と其群集の中から吉井勇君が出て来た。吉井君が莨を喫んだのを攻撃したから、ウント喫んでやつたとの事。
 一緒に宿に帰つて、夕飯。夜の十時半まで語つた。色々な面白い話があつた。同君が脚本に志してる事、其目下執筆中の“南蛮寺”の梗概など。僕は全く此人を好きだ。
 いつしか頭が痛くなつてゐた。今日あまり暑いところを歩いた所為だらう。十二時にならぬうちに眠つた。
 原稿料がうまく出来たら、吉井君と京都へ行く約束した。

六月八日
 町内の大掃除だといふので、七時半頃に起された。掃除の済むまでを散歩、紫と淡紅色の千鳥草を買つて来て瓶にさした。
 晴れた日であるが、怎やら頭が常の如くでなくて、ペンを執つてもまるで興が湧かぬ。二時頃、枕を出して横になつた所へ、宮崎君から手紙が来た。京子は日増によいと書いてある。函館の同人で常夏会といふ歌会を結んだと書いてある。
 起きて返事を書き出すと、遠雷の音。三時頃に窓前の公孫樹の葉が騒立つて沛然たる雨。やがて雷鳴が刻一刻に強くなつて来て、雹が降り出した。直径五分位なのもある。向ふの家の瓦屋根に礑つて反かへる面白さ。障子を明放して云ふ許りなく心地よく眺めた。夕かげになつて止む。手紙書き了へた。
 降雹の真最中に森先生から手紙。予の小説二つ春陽堂にやつてある事、次回の歌会の兼題など知らして来た。貞子さんからも葉書一枚。
 雹を見ながら、金田一君と語つた。粉屋の娘の水車で死んだ話。コルサコフの露人の麺麭売の話。アイヌ人の宴会の話。
 夜“朝”をかきかけたが、怎も興がなくて、唯三枚。十二時寝る。

六月九日
 昨夜寝てから、次の様なものを書かうと考へた。
 “二筋の血”(幼時に見た悲哀)
 “開業医”(死人を見ながら、馬の支度を命ず)
 “伯父の家”(仙北町の伯父の家にゐた頃)
        ……………………………………
 朝八時頃起床。“病院の窓”春陽堂で買取る事に決つたが、報酬は登載の上といふ鴎外先生からの葉書。返事を出した。
 カラリと晴れた日で、昨日より心地がよい。
“二筋の血”といふのを書き出したが、三四枚書いて迷つた。それは、此中に書かうとした美しい女の児の死と、血を浴びた不適な男とは、怎しても別に離した方が好いと思つたからで、遂々夕方までに、別に
“刑余の叔父”
といふのを考へた。並木君が来た。
 七時頃鴎外先生を訪うたが不在。予と相並んで三四町の間歩いた女があつた。
 夜“二筋の血”の稿を改めて三四枚書いた。十時近くなつて、女中が阿部さんといふ人を取次ぐ。誰だとも心付かずにゐると、入つて来たのが阿部月城(和喜衛)君であつた。ポツチリと髯を生やして、古い乍らもフロックコートに山高帽。泊つた。
 月城君は矢張覚めざる月城君であつた。君を寝せてから、二時まで筆をとつたが、考へてみると、自分は此三年の間に変つたものだ。阿部君の変らぬのを見て、つくづく自分の変つた事を感じた。

六月十日
 八時目をさましてせつ子からの手紙。
 阿部君は十時に帰つて行つた。
“二筋の血”を二十五枚目まで。
 夕方、金田一君が来て万朝報で今月末までの期限で五十回の新聞小説を募集してると知らしてくれた。賞金は三百五十円。一つ書かうかと思つて、
 “八月の村”
といふのを考へた。舞台は渋民みたいな田舎にして、錯綜したる恋の発落。何れも皆失望に終らせるのである。
 寝たのは一時であつたらう。

六月十一日
 十時。吉井勇君に起された。午后二時まで語る。
 間もなく金矢光一君と板垣の貞雄さんが来た。予は上京以来初めて真の郷里言葉で話した。
 夕方、金田一君と二人話してる所へ、女中が来て、先月分の下宿料の催促。
 七時半、森先生を訪ねた。雨がふつてきた。佐々木信綱君が来た。八時半“天鵞絨”の原稿を持つて帰つて来た。
 森先生の六才になるまり子さんが、ピヤノを習つてるといふ。
“天鵞絨”の中には、先生の一々誤や訛を正して下すつた一葉の紙が入つてゐた!
 九時頃、金田一君が其衣服を典じて十二金を拵へて来て貸してくれた!
 二時までかかつて、“二筋の血”三十三枚脱稿した。

六月十二日
 十時起きて、“二筋の血”を読直し、“天鵞絨”を訂正した。一時頃出かけて、春陽堂をとひ、後藤氏留守、編輯の人某氏に逢つて原稿料の件相談。アトで返事して貰ふことにして帰る。
 昨夜の十二円のうち十円だけ宿へやる。
 渋民の伊五沢源太郎、柴内栄次郎から手紙、うれしかつた。与謝野氏の葉書、返事出す。金星会へ境田某君から十回分会費三円来た。
 夕刻貞子さん来る。生活といふ事を談つた。
 七時半、駿河台に長谷川天渓氏を訪ひ、“二筋の血”“天鵞絨”二篇置いて来た。
 帰に東明館で、一円六十五銭で単衣一枚買つた。金田一君また五円貸す。
 歌を直して一時寝る。

六月十三日
 午前、為替を受取り、湯に入り、髪をかり、原稿紙と百合の花と足袋と櫛と香油と郵便切手と買つて来た。
 十一時、伊東圭一郎君突然来訪。痔だといつて薬瓶を携へてゐた。
 一時頃、盛中出の小野清一郎君来る。金田一君と三人にて四時頃まで語る。松茸とりに行つて血を吐いた人の話。
 今日先月分の下宿料皆払ひ、金田一君に一円かへした。
 夕方貞子さん。やがて並木君が久米井君といふ人をつれて来て、十時まで語る。
 今日は来客の多い日であつた。
 “喀血”(小野君の話より)
 “盲目の少年”(昨夜の金田一君の話より)
の二材料を得。も一つ、
 “寺の下宿番”(小野君の話より)
 久米井君は、人の所へ行つて恋の話を聞かされて帰ると、淋しくて淋しくてたまらなくなると云つた。

六月十四日
 日曜日、九時頃起きた。間もなく金田一君が来て、昼飯も一緒に食つた。
 春陽堂へ手紙出した。宮崎君へも。それから、渋民の小供等へ絵葉書を買つて来て六枚出した。
 袷と亀甲絣の羽織を典じて、先月入れた紋付の羽織を出して来た。銀台の洋燈を一円で需めた。夜、青磁の花瓶を夜店で買つて来て金田一君へ。
 金が少しでもあると、気が落付かなくていけない。今日は三度も四度も外出した。金のある時は何も書けぬ。自分は矢張貧乏の方がよい様だ。
 十時頃から十二時迄金田一君と語つた。
 大嶋経男君から久振の手紙。芝の吉井君からは太平洋画会を二度目に見たといふハガキ。

六月十五日
 与謝野氏から云はれた“歌壇の昨今”を書かうと雑誌をひねくつてみたが、イヤになつてやめる。夜、断の手紙かいた。
 平野君から借りて来たゴルキイの“Three of them”を読み初める。
 今日は遂々書かず了ひ。
 春陽堂の高崎春月君から、稿料一件後藤主筆不在のため駄目との手紙。鎌倉なる後藤氏に手紙出した。
 柴内栄次郎へも手紙出した。
 貞子さんから手紙。
 金を欲しい日であつた。此間太平洋画会で見た吉田氏の(魔法)、(スフインクスの夜)、(赤帆)などを買ひたい。本も買ひたい。電話附の家にも住んでみたい。そして、吉野君岩崎君を初め、小樽の高田や藤田、渋民の小供等を呼んで勉強さしたい。……
 夜は三時打つまで眠れなかつた。

六月十六日
 せつ子から葉書が来た。宮崎君が健康を害して枕についたと云ふ。悲しくなつた。
 金星会の歌が二つ来た。
 何もしたくない日。
 歌人間嶋琴山君が十時半に来て、一緒に昼飯をして一時半頃帰つて行つた。
 夕方に気持よいほどの夕立があつた。
 色々の妄想になやまされて一日を暮らした。夜になつても筆とる気がしない。古い歌七十許りを清書して“工藤甫”といふ名で佐々木信綱君に送つた。
 Gorky を読み乍ら眠る。

六月十七日
 曇つたり晴れたり、少し風。そんなに暑くない日だ。金星会の歌を直した。宮崎君へ手紙かいた。吉井君の事。京橋の女の事。
 昨日の新聞にあつた、一昨暁剃刀で自殺した川上眉山氏の事について考へた。近来の最も深酷な悲劇である。知らず知らず時代に取残されてゆく創作家の末路、それを自覚した幻滅の悲痛! ああ、その悲痛と生活の迫害と、その二つが此詩人的であつた小説家眉山を殺したのだ。自ら剃刀をとつて喉をきる、何といふいたましい事であらう。創作の事にたづさはつてゐる人には、よそ事とは思へない。
 Three of them を読みながら、枯れた樅の大木の上の空を眺めて、何となく心が暗くなつてしまつた。
 四時近くに貞子さんが来て、七時少し前帰つた。
 夜金田一君と語る。予は予の姉――亡き姉の事を詳しく語つた。何とも云へぬ心地になつた。十二時半頃になると、女中が来て、モウ話をやめてくれと云ふ。
 枕について Three of them を読みながら眠らうとしたが、一時間許りは眠れなかつた。
 一日も幸福といふ事を知らずに死んだ姉! その姉の事を考へると、一日も早く親孝行をしたいものと考へらるる。悲しい事の多い身を、他から見た様に憐んでもみる。

六月十八日
 朝八時頃、貞子さんが風の如く来て風の如く去つた。燕なら可いのに…。
 何も書く気になれぬ日であつた。胸の中には十も二十も材料があつてゐて、それで書く気になれぬ。歌を五つ六つ作つたり、寝ころんで Gorky を読んだりして日を暮らす。
 菅原よし子へ手紙出した。
 無聊な一日。寝てから古雑誌など読んで、一時の時計をきいた。窓の外にイヤな風の音がきこえた。

六月十九日
 起きたのが八時、巻煙草がない。十二時迄はその事許り考へて、立つて室の中を歩いたり、腰かけて窓をあけてみたり許りした。昼飯を喰つてから、到頭、羽織と肩かけを持つてつて質に入れ、煙草と、机(七十銭)をかつて来た。
 あつい日であつた。
 奥山きぬ子から葉書。小樽の武治からも葉書。四時頃吉井君が来た。
 吉井君の歌集出版を勧める。学校の方は退学したさうだ。野田といふ男爵の娘の話。要するにすきずきしい話が多い。金田一君も来た。
 八時頃、二人で出かけて大学の前の夜店を見てあるく。手踊人形といふものを二人で買つた。その時、僕等二人と外に二人の女が立つてゐた。一人は美しい人であつた。僕らは、これをしもすき歩きと云ふのだと云ひながら、其あとをつけてあるいた。人込の中に隠れつ現れつする白地の単衣の人! とある絵葉書店の前で金田一君に逢ひ、三人であとをつけた。菊坂町へ曲つて、坂の下まで来たが、女共は足を早めて、真直に行つて了つた。吉井君と別れて、女を暗の中に見送つた。それから金田一君とまた通りへ出て歩いたが、もう格好なのは見あたらなかつた。帰つたのは十時。

六月二十日
 明星募集の“風”の歌をなほして日を暮す。
 午後一時頃雨の中を並木君が来た。色々話して夕飯。八時頃またすき歩きに出たが、昨夜の人に逢はぬ。
 金星会の歌をなほし、一倉はまじ子へ手紙かく。
 九時頃貞子さんが来た。かへりに送つてゆかぬかと云つたが、予は行かなかつた。窓の下を泣いてゆく声をきいた。
 我を欺くには冷酷が必要だ!
 貞子さんに最後の手紙をかいて寝る。

六月廿一日
 日曜日。七時に目をさまして与謝野氏からの手紙をみる。
 十時過まで金田一君と語つた。汽車で遭遇した色々の女の話、興あるものだ。やがて此友は、其仙台空堀町三〇吉川方にゐた時の隣の女とのやさしいやさしい恋を話した。何といふ美しい!
 並木君が来て一円かしてゆく。夏坐布団二枚かつて来た。
 一時頃、平野君来る。共に千駄ヶ谷に行つた。平出君や其他二三の社友がゐた。いろいろの話。夕飯。十時になつて平野君と共に帰つて来た。晶子さんから三円。
 夏帽子を求めて宿にかへると、留守中に貞子さんが来て入つて行つたとの事で、机の中には手紙!
 小説の一断片は、悲しき結末に急いだのだ!

六月二十二日
 曇つた日であつた。
 午后に金田一君、昨夜の話、手踊人形で大に笑ふ。夕方、また好歩きに行かうと云ふので、二度出かけたが、其度雨が落ちて来たので唯もどり。
 今日は生れて初めて散文詩といふものを書いた。“曠野”“白い鳥、血の海”“火星の芝居”の三篇。

六月二十三日
 十時に起きて、小雨を犯して紫陽花と白い鉄砲百合を三十銭だけ買つて来た、帰りに氷を飲んだ。
 花を新らしくした心地はよい。
 二三日前から、宿の主婦の妹だといふ粋な三十格好の女が下に来てゐる。女中の話では、主婦が加減がよくない為に当分助けられるのだといふが、今朝顔を洗ひながら洩聞いた話では、怎やら嫁入先で夫婦わかれをして来たのらしい。
 夕方二時間許り金田一君と語る。繋の温泉の白痴な男と美しい優しい娘の話。〈貞子さんから是非来いという葉書〉
 吉井君と後藤宙外氏と春陽堂の高崎春月氏へ手紙かいた。
 金星会の詠草と、一倉はまじ子からの手紙と、境田天畔からの葉書と、外に貞子さんから今夜是非来てくれといふ葉書が来たが、行かなかつた。
 恋をするなら、仄かな恋に限る。
 散文詩“二人連”“祖父”の二篇をかく。昨日の三篇と合せて与謝野氏に送る。手紙もかいた。
 終日雨降であつたが、滅多にない程頭の明瞭した日であつた。暮れてから一寸出て花瓶を一つ買つて来た。其あとに貞子さんが来て行つたといふ事であつた。
 百合の花の香の仄かに籠つた室に寝る心安さ!

六月二十四日
 昨夜枕についてから歌を作り初めたが、興が刻一刻に熾んになつて来て、遂々徹夜。夜があけて、本妙寺の墓地を散歩して来た。たとへるものもなく心地がすがすがしい。興はまだつづいて、午前十一時頃まで作つたもの、昨夜百二十首の余。
 そのうち百許り与謝野氏に送つた。
 一時頃から三時半まで午睡。起きて宿の人に手伝つて障子を張かへた。夕飯。
 貞子さんが来た。来て先づ泣いた。明日伊豆の伊東へ行くとか行かぬとか云ふ。父な人の家は破産しさうだと云ふ。九時少し前にかへつた。
 一人散歩に赤門の前を歩いてると亀田氏に逢つて、国木田独歩氏、わがなつかしき病文人が遂に茅ケ崎で肺に斃れた(昨夜六時)と聞いた。驚いてその儘真直に帰つた。
 独歩氏と聞いてすぐ思出すのは“独歩集”である。ああ、この薄倖なる真の詩人は、十年の間人に認められなかつた。認められて僅かに三年、そして死んだ。明治の創作家中の真の作家――あらゆる意味に於て真の作家であつた独歩氏は遂に死んだのか!
 此日、吉野君から、上京以来初めての手紙。ああ、酒と女! 君の書く事は真実だ。然り、飲んで歌ふことと、若い女!!!

六月二十五日
 豊後臼杵町なる菅原よし子氏から絵葉書。
 後藤宙外氏から、春陽堂が十年来の不景気のため稿料掲載日まで待つてくれといふ葉書!
 午前に明星募集の“風”の歌を選んで清書して送つた。夕方に百合の花をまた買つて来て、白のうちに一本の赤を交へてたのしんだ。夜に金田一君と二人例の散歩。電柱の下に立つてゐた美人を見た。
 頭がすつかり歌になつてゐる。何を見ても何を聞いても皆歌だ。この日夜の二時までに百四十一首作つた。父母のことを歌ふ歌約四十首、泣きながら。
 長谷川氏に手紙やつた。

六月二十六日
 目をさまして、七時半頃、せつ子からの手紙をよむ。妹――みつ子、噫!
 千駄ヶ谷に行かうと思つたが、雨が降つて来たのでやめ、昨夜の歌を清書して送つた。
 雨。
 高田紅果から手紙。金星会の歌二人。
 一時頃吉井君が玉子の形をした懐中汁粉を買つて来て、雨が晴れた。二人で十題二十首の歌会をやつたが、十許り作つてやめる。例のすきずきしき話。平野万里君が来た。三時半頃三人で動坂の平野君の宅へ行つた。途中駒込の一寺で玉野花子さんの墓に詣でた。
 処女の恋は皆同じだからイヤだ、三十位の人――わかつた人を欲しいといふのは平野君である。何でもいいから恋してくれる人を沢山ほしいのが吉井君である。予は浅い恋、仄かな恋をほしい。結婚するときまつてる人に一寸思はれて見たい様な気がする。
 日が暮れると蚊の声。楽隊のやうだ。たまらなくなつて三人出て来た。赤門の前、これぞといふ人にも逢はぬ。別れて帰ると金田一君の弟の安蔵さんが金澤から来てゐた。
 十一時頃に寝た。

六月二十七日
 目をさまして宮崎君の手紙を読んだ。
 吉野君へ久振で手紙かいた。恋には歓楽と苦痛とあるが、浮気は楽しみ一方だから浮気に限るとかいた。も早や我々は、若しも真に自己の全体を知つてくれる人があつたら格別、でなければ再び真の恋をする事は出来ないとかいた。
 夜“宝掘り”といふ一幕物のドラマを書かうと思つたが、長谷川氏から、今月はどうしても原稿料出せぬといふ手紙が来たので寝た。
 噫、死なうか、田舎にかくれようか、はたまたモツト苦闘をつづけようか、? この夜の思ひはこれであつた。何日になつたら自分は、心安く其日一日を送ることが出来るであらう。安き一日!?
 死んだ独歩氏は幸福である。自ら殺した眉山氏も、死せむとして死しえざる者よりは幸福である。
 作物と飢餓、その二つの一つ!
 誰か知らぬまに殺してくれぬであらうか! 寝てる間に!

六月二十八日
 金田一君から二十銭借りて千駄ヶ谷に行つた。過日の歌の話。与謝野氏は驚いてゐる、晶子さんも予の心をよんでから歌を作つたと云つた。
“石川君は食ふ心配をさせずにおけばいい人だ”と与謝野氏が言つた。食ふ事の心配! それをした為に与謝野氏は老いた。それをする為に予も亦日一日に老いてゆく。
 峻烈面もむけがたき人生の活機と面相接してゐて、心の底の底でさめざめと泣いてみたい様な、見知らぬ国にあくがれる様な心地がする。
 文芸の二方面といふ事を考へた。人間は、現実の苦痛にゐて、時として其苦痛を友人なり何なりに話してそして慰む事があり、時として、全く現実と離れた事を想ひ、言ひ、読んで慰む事がある。今の文壇の論争は、各々此二つの場合の一つ宛を取つて争つてゐる様なものだ。
 予は両方に各々の理を認める。そして予自身も両様の心地を持つてゐる。然し与謝野氏は予の歌を半分しか解らない。
 夕飯を御馳走になつて、藤條静暁君を伴なつて帰り、赤門前を散歩して来て、十時半迄語つた。

六月二十九日
 目をさますと、凄まじい雨、うつらうつらと枕の上で考へて、死にたくなつた。死といふ外に安けさを求める工夫はない様に思へる。生活の苦痛! それも自分一人ならまだしも、老いたる父は野辺地の居候、老いたる母と妻と子と妹は函館で友人の厄介! ああ、自分は何とすればよいのか。今月もまた下宿料が払へぬではないか?
 To be,or not to be ?
 死にたい。けれども自ら死なうとはしない! 悲しい事だ、自分で自分を自由にしえないとは!
 起きたが、煙草がなかつた。一時間許りも耐へたが、兎ても耐へきれなくなつて、下宿から傘をかりて古本屋に行つた。三十五銭えて煙草を買つて来た。
 雨! 窓がぬれる。
 向ひ合つた下宿の窓が三つとも戸が閉つてゐる。暑中休暇で帰省したのであらう。自分には帰るべき故郷もない!
 筑紫なる菅原よし子に手紙かいた。金星会の歌を直した。
 死といふ事が執念く頭に絡んで来る。此間作つた
  大木の枝ことごとくきりすてし後の姿のさびしきかなや
といふ歌が辞世の歌に可いなどと考へた。しまひには死ぬ時の事がいろいろと想像されて、それが何となく快い様な気になつた。
 所へ、与謝野氏から“本日振替貯金で少し送り候、二三日中にお手許に届くべく候”といふ葉書が来た。ああ、と云つて後ろに寝て、何といふこともなく手を合せた。
 せつ子へ、今月金を送れぬ申訳の手紙をかいた。
 下へ行くと金田一君のジキの弟の次郎吉さんが来てゐた。兄弟三人の睦まじさ、何といふ事もなく羨ましい。
 雨に明けた日は雨に暮れた。雨の音をききつつ枕について、寝られぬままに Three of them を読むだ。

六月三十日
 十時半頃吉井君に起された。話がつきぬ。北原君が昔の恋人の兄に手紙をやつて、まだ返事が来ぬと云つて弱つてるといふ話をきいた。恋の話になる。吉井君は艶書を四通認めた。何れも別々の女へ。
 二時頃吉井君の家へ行かうといふので、出掛けると、寺の門の所で並木君に逢つた。二人を紹介して、打つれて三田に向つた。三丁目から電車、僕の前に一人の女が乗つた。
 吉井君の家は芝公園五号地の三、伯爵の邸宅としては粗末だが、人造石の門には“吉井事務所”といふ札が出てゐた。室は二階の六畳、松の木の間から往来の電車が見える。吉井君は呼んで“浮世絵の桟敷”と云つてゐる。いろいろの絵を見た。絵葉書を見た。吉井君の恋人なる名村雛子といふ美しい人の写真も見せられた。
 夕飯を御馳走になつて、六時半頃、三人で出かけた。小雨が落ちて来た。公園の中を通つて、増上寺の山門を目にうれしく見た。中門前町から電車。すきあるきではなくて、すき乗りだと笑つた。不幸にして若い女は一人も乗合せなかつたが、銀座で五十位の酒臭い福相の男が乗つた。根岸の歌会へ行つた帰りだが、小川町に帰るのを居睡をして此方まで来たので、また帰るところだと問はず語りをしてゐた。あとで吉井君は“旧派歌人のデカダン”と言つた。
 松住町で並木君にわかれて本郷三丁目、雨がよほど強くなつて来たので、二人で一本の傘をさして宿に帰つた。
 女の話である。二人は其恋人を数へて色々の思出談をやつたが、吉井君には十八人許りあつた。そして再一本艶書をかいた。
 小説の話、劇の話。二人は其考案を語り合つたが、吉井君の一幕物皆面白い。モウ書いて了つたのは“午後三時”といふのだが、これは死の恐怖の来ることを書いたもの、外に“覚めざる人々”“南蛮寺”などある。いづれもマアテルリンク張りの神秘的なもので、仲々面白い。
 十時打つて、三十銭置いて帰つた。
 雨が晴れて静かな晦日の晩である。何ともない若さが胸の底に躍つてる様な気もする。三時打つまで眠れなくて、枕の上で Three of them を読んだ。
 書き忘れた。前夜鶴の夢をみた。――渋民にゐた様であつた。元吉――大好の元吉爺が小さい丹頂鶴を一羽押へて来てくれた。其前後が明瞭しない。誰か来たのでそれを出してみせた時は、頂の紅いのが無くなつてゐた様だつた。鶴のゆめ! 何かの吉兆であつてくれれば可いと吉井君と話した。

       
文 月

七月一日
 与謝野氏から振替貯金で五円届いた。六月に少し沢山明星に書いたからであらう。
 起きたのは十時頃、火鉢の火を吹いてゐると、何処かしら火な臭い。四辺を見ても火が見えない。懐から煙が出てゐた。火花が飛んで入つたのであらう。
 懐中の火! 懐中が燃えあがるといふ前兆だと可いと思つた。
 此日も終日の雨、頭がよくない。イヤな日だ。寝てみたり、起きてみたり。嘗て三枚許り書きかけておいた“朝”を書直してみたが、イヤになつた。夜になつてから、“刑余の叔父”を書き初めて六枚許りかいた。
 Three of them を読みながら寝た。

七月二日
 朝に“心の花”が来た。枕の上でよむ。予の歌が六十首許り、工藤甫といふ名で載つてゐる。吉井君の“月”は其初恋の女優で、今矢張竹柏園で歌を作つてゐる内田静枝といふ女の事をかいたものだ。仲々悪戯をやるものである。
 もう十二時ですと女中に云はれて起きた。今日も雨、イヤな日。
 宿の人を呼んで、下宿料待つて貰ふことに談判調ふ。三時頃出掛けて、昨日来た五円を郵便局で受取つて、“趣味”の七月号、辞林、英和辞書、“Favourite poems”を買つて来た。紋付の羽織を質屋から受けて来た。
 金田一君所で、次郎さんと三人で、二時間許り語つた。立派な服装をした若い好男子が旅館でモルヒネを飲んで死んだ話、それが今だに何処の者とも知れぬさうな。金田一君の姉君は盛岡の停車場前に清風館といふ宿屋を出してゐる。
“趣味”で正宗白鳥の“世間並”を読んだ。うまい。“下手な嘘をいふと時々心の中で嘲りながら”、女の苦労話をきいたといふ句がある。
 早速正宗氏へ面会を求める手紙をかいた。
 金の多少ある晩は、何となく気が暢然してゐる。

七月三日
 午後一時頃、フト思出して、麹町隼町に蒲原有明君を訪うた。取留のない気焔、詩を読むことをイヤになつたと言つた。芝居は見た事がないけれども、一幕物の現代劇を書くと言つた。明治の真の詩人は、透谷と独歩の二人きりだと言つた。此人もモハヤ抒情詩にアキが来てゐる。……
 一緒に酒でも飲まうといふのを、四時頃辞して帰つた。
 夜、また電車の旅。京橋へ行つた。不快、いふ許りなき不快を抱いて帰つた。
 此夕、時事新報は号外を出して、西園寺首相病気のため、内閣総辞職を報じた。元老の圧迫の結果であらう。

七月四日
 今日は第一土曜日。
 九時頃起きて“刑余の叔父”を少し書いた。二時頃吉井君が来た。先頃の五通の艶書、まだ一通も返事が来ないと言つて少し弱つてゐた。平野君も来た。一緒に四時頃千駄木へ行つた。
 今日は森先生の観潮楼歌会である。北原君が来てゐた。やがて伊藤左千夫翁も来た。兼題五首づつ二度、(人妻、戸、鬼、跳る、筋、)予のは
  杳然とたそがれて来ぬその時につと我離る君は人妻
  われ日毎ことなる色の戸をかぞへゆけど猶見ず我が死の戸を
  とみて我が馬は跳れり千人の少女の環よりつと君の出づ
  一すぢの黒かみをもて南北に我を引くなり女と女
  身がまへてはつたと許り睨まへぬ誰ぞ鬼面して我を嚇すは
    ――――――――――――――――
  三年前そのかの夕べ死ににきといつはる人を猶ににくまず
  今日ぞふと開くことなき路傍の蔵の戸を見て心怖れぬ
  大海に跳れる青き大き魚の幾万年のいのちを思ふ
  すでににして我が天地に一すぢの路つき君がかどに日くれぬ
  森の中鬼大木をゆるがして何か喚けり凩の吹く
    ――――――――――――――――
 外に自分の気に入つたのは、
  人妻の目をうつくしと思ふ子といつなりしかと独り怖るる(勇)
  春の鳥な鳴きそ鳴きそ赤々ととの面の艸に日の入る夕(白秋)
 雑談があつて十時四十分散会。かへりは少し雨が降り出した。
 三時まで聞いた。枕の上で早稲田文学を読んだ。葉舟の小説“家出”拙い。
 歌会次回兼題は(二首宛)
   瘤。髯。握る。匙。咳。

七月五日
 十二時ですと謂つて、女中に起された。曇つた日。
 一時、森川町一番地桜館に正宗白鳥君を訪問した。背のひくい、髯のない人。四年前に一度読売社の応接室で逢つた事があつたが、そのまま些とも老けてゐない。
 随分ブツキラ棒であるとは人からも聞いてゐた。入つて行つても、ロクに辞儀もせぬ。茶を汲んでも黙つて出したきり、……それが頗る我が意を得た。何処までもブツキラ棒な話と話。二時半帰る時は、然し、額を畳に推しつける様にして、宛然バツタの如く叩頭をした。玄関まで送つて来た。
 今日までの作は、皆一様に苦心したもので、どれを得意といふ事もないと言つた。自分の才が一番小説に向くと思つて書いた――書き初めたのではないと言つた。詩や歌の話もした。
 留守中に並木君が来たとの事。
 金田一君の弟の次郎さんが、八時五十五分の汽車で立つのを、金田一君と二人で上野に送つた。路々の話では、次郎さんにも小説がある。姉――幾辛酸をなめ尽した姉との不和、芸者の恋、大志、兄弟の犠牲、富豪工藤寛得との養子問題…………ステイシヨンには、これといふ美人がゐなかつた。帰りに、坂下の氷屋でミルクセーキを初めて飲んだが、そこの主婦が病気で寝てゐた。其女を見て、そそけ髪、小さい鼻……亡き姉を思出した。
 浅草の十二階から望遠鏡で下を見おろすと、蜘蛛の網の如くなつた細い小路で、男が淫売婦に捉まるところが見えると、金田一君から聞いた。
 帰つてから三時までに、“刑余の叔父”十五枚目まで書いた。Gorky を読みながら眠つた。

七月六日
 十二時に目を覚まして、せつ子と妹からの手紙を見た。かなしみを自ら消した――
 恋妻といふ我が一語に喜ぶ妻! “時”の破壊力の怖ろしさ! ああ、予は此朝、我がせつ子を縊り殺す程強く抱いてみたかつた。!!!
 あやまれる妹! 許してくれといふ妹!
       ――――――――――――――――
 曇つた日。誰も来なかつた。此間古本屋から買つて来た Favourite poems を六十銭に売つて、煙草を買つて来た。
 金田一君と語つた。明治新思潮の流れといふ事に就いて、矢張時代の自覚の根源は高山樗牛の自覚にあつたと語つた。先覚者、その先覚者は然しまだ確たるものを攫まなかつた。……自分自身の心的閲歴に徴しても明らかである。樗牛に目をさまして、戦つて、敗れて、考へて、泣いて、結果は今の自然主義(広い意味に於ける)!
       ――――――――――――――――
 七時頃に出て二時間許り赤門の前を徘徊した。何ものかを求めて歩く若い男と女の中に交つて、自分も若い心地になつてると、何となく常にない軽い空気を吸つてる様だ。はかない楽しみではある。
 一人、女の児の手をひいた、二十歳位の女があつた。同じ道のゆきかへり、三度逢つた。恋を猟る女! と見た。弁説の面白い小間物屋の前に立つてると、その女も来て予の手に手を触れた。惜いかな、美しくない女であつた。かへりに、とある煙草やの店で、その家の人――幼児を抱いた人と、戯れてゐるのを見た。外聞もはばからずに小児に頬摺をしたり、キツスをしてるのは、矢張一種の性欲の圧迫作用だと思ふと、ツマラナクなつて来た。
 所詮人は動物だ。何といつた所で動物だ。
       ――――――――――――――――
 二時までに“刑余の叔父”二十五枚目まで書いた。余程苦心してゐる。
 枕についてから、Gorky を読むだ。主人公の Ilia が老人を殺して金を盗む所がある。そのアトの Ilia の心地が実によく書いてある。
 いろいろな妄想を起した。
 四時の時計まで聞いた。戸の隙が障子に映つて、(洋燈をけした時)少し明くなつた時寝入つた。

七月七日
 十二時に目をさました。枕辺に三通の消息。
 その一つは、京子がどうも優れぬので、小児科専門の藤野といふ医師に見せると、心臓腸胃が悪くなつてる、が、長くかかるけれども危険はないとの妻からの葉書。幾度も幾度も読みかへして、何故に天がかくも我が家に禍するかと考へた。
 その二は、岩崎君からの初めての手紙。その此頃の心境、若き日の去れる嘆き、吉野君の事、桔梗色のリボンの女の事、なつかしくこれも繰返した。
 その三は、筑紫なる菅原よし子からの長いたより。いろいろとその身の上の事から歌の事から書いてある。兄弟もなき商家の一人娘、詩歌は幼き時から好きであつたと。若し兄弟のあらば早速東京に出て門弟になりたいと。そして、潮風黒かみを吹く朝夕、おばしまに腰うちかけて沖の白帆をかぞへてると。終りに記した歌七首、こんなのがあつた。
  はてしなき砂漠が中にふと清水見しごと君に近く夕
  榛の木のかこめる山の草庵に遠人こひぬ昼ほととぎす
  水近き端居涼しきうたたねに武蔵の山も野もゆめに見て
  ぬるき風暗をくぐりぬかかる夜ににくまる女のおもかげ思ふ
      ――――――――――――――――
 岩崎君へ長い長い返事したためた。泣かず笑はざる心の味の事、酒と女と歌の事、吉野君の事、桔梗色の女の事、お幸ちやんの事。レターペーパーに細かく十頁。
 岩崎君へも葉書。
 四時半頃金田一君の室にゆくと、碧海君と橋本とかいふ人が来てゐた。その二人が帰つて、九時過ぎまで語つた。露骨に二人で告白した。よし子の事も語つた。孤独を奪はるる苦痛について最も深く語つた。
 二階に来ると、どうしたのか芳子の事のみ胸に往来する。小説の稿もつぎたくない。本を読んでも五六行で妄想になる。遂にペンを取つて消息を認めた。ペンを置いた時は二時。主に歌の事をかいた。そして歌を八頁かきつけた。“沖をゆく一つ一つの帆をかぞへ我を数えぬ君と知れども”
 ああ、奇妙な事もあるものだ。今夜の自分は殆んど恋をする人の様な落付かぬ心地であつた。無論これは今夜だけの事で、この心地は永くつづかぬであらうけれども、我ながら妙な夜ではあつた。………散文の自由な国土にゐると、時として詩歌の故さとが恋しくなる。都にゐると鄙を思ひ、夏は冬を思ふ、これが、人生にロマンチツクの流の絶えぬ所以だ。あまりに現実の圧迫をうけてゐる自分が、今、夢にだも逢つた事のない人を思つたのは、矢張自分のロマンチツクだ。歌を作るのと同じ事だ。
 ゆめに黄色い酒を舌に塗る人の事、芳子の事をみた。

七月八日
 九時並木君に起された。話題は凡て女に関した事許り。何故此頃予は恁う女の事ばかり云ふ様になつたかと怪しまれる位である。並木君は今日から暑中休暇になつたけれど、当分函館には帰らぬとの事。
 一緒に昼飯を食つて、曙町十六に久米井一雄君を訪うた。杉垣の香。井戸掘。その側らには紫陽花の花。写真の話。女の話。
 Gorky の“Outcasts”と“Russian grand mother's wonder tales”をかりて、四時頃帰つた。
 日のくれるのを待つて金田一君と共に好き歩き。金田一君はすぐ帰つたが、予は九時過まで歩いた。今夜から大学の前に植木やが沢山出てゐる。一種の風情だ。
 一昨夜の女――小供の手をひいた白衣の女にまた逢つた。恋を狩る女だと思ふとをかしくなる。
 今夜ほど沢山の人の出た事は今迄になかつた。何といふ事もなく気が浮いて、急がしく目をくばつて歩いてると、数しれぬ美しい女、或者は女同志の二人連三人連、或者は夫と、或者は情人と手をとり合つて、夏の姿の軽々と、夜風におくれ毛を吹かせて燈明き街をあるく。あそこにも、此処にもと、小児が野に花を尋ねる時の様に見てあるいてると、何といふ事もなく、目が眩しい様で、耳が鳴る様で、妙な圧迫が頭の中に起つた。胸の中が冷えて、冷えて、暗く淋しくなつて、四辺の華やかさを見れば見る程、淋しさが益々深くなる。目が一層急がしくなる。遂々予は大声をあげて泣き出したい様な気持になつた。何度目かに本郷館の前まで来た時、一寸立つて見廻すと、数限りなき美しき人がゾロゾロと向ふから来る。妙な怒りが体中に伝つた。我ながら唯一人ウロツいてゐる自分が見すぼらしい。馬鹿なと叱つてみても、矢張見すぼらしい。淋しい。生甲斐がない様な気持だ。絶望と憤怒とが一緒になつて、鋭どく自分を嘲る。怺へきれなくなつて帰つて来た。本を読むもつまらぬ。書く元気など微塵もない。枕についた。

七月九日
 十一時に目をさまして久米井君からの葉書をみた。
 書かうといふ気がしない。これは不可と自分で叱つても矢張書かうといふ気がしない。Gorky を読むだ。
 五時頃、金田一君が涙を目一杯に湛へて来た。弟君の結婚問題の切迫、それよりも驚いたのは、君の妹のよし子といふ人が入水して死んだ!
 五歳まで乳貰ひに里子にやつておいたので、帰つてからも何となく兄弟中のノケ者にされてゐたのださうな。その初、姉君が非常によし子に逢ひたいと云つてゐたが、初めて来た時、何かしら泣いて泣いて、怎うしてもやまなかつた。姉君はいくらすかしても聞かぬので、アア厭だと一言。それが、その反感が一生去らなかつたと! 幼い時は気儘自由に育つて、家に帰つてから四方の圧迫にいぢけて、非常に内気な隠忍の性に育つた。そして金田一君が、それに同情して可愛がると、皆でそれを不快にする。かくて真に兄弟らしい素振は甚だ稀であつたさうな。嫁に行つた。その時友は、何とかして一口、俺はお前を愛してゐたと云ひたかつたと。一年位前に家へ帰つて来た。出戻り! 悲しい事には益々内気で、そして何処かダラシなくなつてゐた。休みで友が帰つた時、それ見ろと言つたとて泣いたさうな。気のぬけたビールみたいになつてゐたのが、遺書もなき家出。それが弟君の状況と同時だつたので、或は上京したのではないかと思つてゐたが、一昨日、見前村に女の死体が漂着したといふので、怪んで行つてみると、それは嗚呼!
 友はこれを語つて、涙ををさめて下に行つた。何とも言へぬ、自分の手の届かぬ所にある様な悲哀が胸に起つた。
 出かけてみた。本屋の店に明星がある。巻頭に予の歌七頁、外に散文詩、まるで今月は予一人の明星の様な気がした。それが一種のプラウドを起して、今夜は少し昂然として一通り歩いて帰つた。且つ人出も少なかつた。涼し過ぎる位涼しい為であらう。
 歌を十五六首作つた。
 Three of them 五十頁許り読んで寝た。Tatiana と Ilia との情事の所。Tatiana の何の偽りなき人生観――――

七月十日
 九時半頃間島琴山君が来た。昼飯を食つて一時過ぎに帰つた。
 其話は、告白せざる話である。別に詐る気はなくとも、真実の事をば言はぬ。下手な嘘――若い人に多く見る下手な嘘が多い。何だか妙な反抗を感じた。
 ところへ吉井君が来た。二人は多く肉について語つた。――友は月に二三度肉の渇望を充すと云つてゐる。嘗て、浜町とか蛎殻町とかにゐる淫売の三十三人組、それを一人残さず征服しようと思つて、十三人目に痳病を得て入院したさうである。その後は病気が恐いので、芸者や白首は危険だから遊女か半玉に限ると言ふ。岩野泡鳴君が嘗て京都の一青楼に遊んだ時の話もきいた。それは恁うだ、いくらだと聞くと一円、八十銭に値切つて登つたが、対方が仲々来ない。茶を持つて来た女中に五十銭くれて望をとげて、明日停車場まで行く俥代がないからと二十五銭のツリをとり、次に来た女中へそれを呉れて二度目、一時頃になつて対方が来て三度目。此費用一円三十銭也。ヒドイ男だ。武田春子といふ歌劇俳優志望者――吉井君も思召があつた――が此頃から岩野の宅に寄食してゐるさうだ。妻君とは別居してゐるのだから、岩野が屹度犯してるに違ひないと吉井君は奮慨した。
 吉井君はまた、昨夜それはそれは大きい女の生殖器を夢にみたと語つた。あまり大きいので何となく崇厳に見えたさうで、其の中に這入つて行くと、ずつと中に男のがあつたので、驚いて覚めたといふ。
 十日前に予の所でかいた五通の艶書、そのうち、唯二通しか返事が来ないと悄気てゐた。然もそのうち一通は埼玉にゐる女子美術出の女、吉井君が尾久村の別墅にゐた時よく訪ねた女なさうで、其関係が肉にまで及んだのださうな。――その人からで、今、肺をやんで枕についてゐるので、それはそれは悲しい痛ましい、長い長い言文一致の手紙だといふ。吉井君は悄気て了つて、何とかして死ぬ前に浄く浄く慰めてやりたいと言つてゐた。一寸きくと殊勝な心がけの様だが、その裏には、その死に行く人に自分の印象を出来るだけ深くしようといふ希望が隠れてゐるのだらう。
 時々雨がおちて来たが、夕方になつてポーツと四方が明るくなつた。予の頭のイライラするのも落付いた。二人で赤門前を三四十分歩いたが、あまり人出がなかつた。キリスト教の伝道隊なるものが、太鼓を叩いてやつて来た。真先には白く十字を染めた赤い高張を立ててゐた。やがて赤門の傍で説教? が初まつた。“私は十三の時から煙草をのみました。そして酒ものみました。昨日までものみました。然し今度小石川○○町○○番地の○○教会で偶然にも神様の道をきいて、翻然として罪を改めました。煙草をのんだり酒をのんだりする不しだらな罪の生活から、一躍して信仰の生活に入りました。”テナ事を、モノトナスな力のない声で言つてゐる。ト、誰か知ら高張に石を投げつけた奴がある。次の奴が立つて、それを攻撃し初めて、博愛といふ事をとき出した。………五六十人の人が集つてゐたが、若い女が見えない。“オイ、女の側に行つて聞かうぢやないか”と予が吉井君にいふと、四辺の者が皆此方をみた。“………親の子を愛し、子の親を愛するだけが愛ではありません。それは人の愛であります。神様は皆一様に愛して下さいます。些とも影日向がありません。だから我々も凡ての人を広く愛さなければなりません。”と演説が進む。“………男でも女でも皆一様に愛するのが神の道であります、博愛であります。”と続いた時、“オイ吉井君、博く女を愛する事についちや僕だつて神様に負けないよ。”“敢て劣らずか。僕らも半分位神様だね。”と言つて、二人は群を離れた。帰つたのは九時、金田一君のところで一時間許り語つた。
 此日三時頃に“明星”が来た。巻頭には予の歌“石破集”と題して百十四首。外に散文詩四篇、選歌。茅野の“我が児よ”には面くらつた。恁麼に詩人ぶつて何するだらう。茅野の妻君になつた雅子女史も馬鹿だ。それを添刪して大分骨を折つた。長嶋豊太郎の歌がよい。晶子女史の作は巧みではあるが、まるで生気なし。
 明星も恁う毎月十日頃になつて出る様ぢや困る事だらう。与謝野氏は二三ケ所で、総花を振まいてゐる。退社した吉井北原二君を社友扱ひにしてかいてゐるのは少し卑劣だ。予の事まで賞め立ててゐる。!
 与謝野氏の直した予の歌は、皆原作より悪い。感情が虚偽になつてゐる。所詮標準が違ふのであらうから仕方がないが、少し気持が悪い。今月の募集歌の選は矢張予と平野。題は“見る”だ。
 暁まで枕の上、暑さと蚊に困められた。

七月十一日
 イヤナ朝、八時前に松原正光に起された。イヤナ奴、農務省の方の口の件、十七円位で出来さうだが、一つ課長へ行つて見る気はないかと言ふ。体よく断つた。イヤナ奴、何としてもイヤナ奴、面も見たくない。声もききたくない。一時間許りゐて帰つた。イヤナ奴。
 万葉集を読む。あるかなきかの才を弄ばむとする自分の歌がかなしくなつた。歌を作つた。
 一時頃、小樽日報にゐたつた在原清次郎君が訪ねて来た。いろいろと北海道時代を追想した。一種の人間だ。釧路に行つた小国君が、高木といふ青楼に遊んでると聞いて、少し胸をうたれた。四時頃帰つた。
 与謝野氏から葉書、十六日の歌会の通知だ。返事。
 堀田秀子へ手紙かいた。
 入水した妹君の墓に詣るべく、また弟君の結婚問題を決すべく、金田一君は今夜故郷盛岡に向つた。折柄歌を持つて来た並木君と共に上野まで送つた。二三日で帰つて来るのではあるけれども、別れといふものは妙なものである。休暇になつて帰省する沢山の学生が、悲しみを抱いた女と共に同じ汽車に乗つた。笑ひにすべてをまぎらして帽子をふつた。
 帰りは池の端を散歩し、本郷で氷を喫んで並木君と別れた。

七月十二日
 十一時に起きた。
 二時頃出かけて千駄ヶ谷に行つた。渡邊紫君が来てゐた。此頃は皆で僕の事許り賞めてゐると晶子さんが話す。人が三年も四年もかかつてやつた事を一度にこはして了ふから、石川君の様な人が出るとハタが迷惑だと平野が言つてるさうな。
 外にはこれと云ふ話もなかつた。松原も来た。馬場氏も来た。九時まで遊んで帰つて来た。

七月十三日
 とうとう昨夜眠れなくつて、枕の上で徹夜。とりとめもない事許り考へられた。
 朝飯を食つて、金星会の歌をなほして、菅原芳子へ葉書かいて、寝た。十二時起きた。
 一時頃小野清一郎君が来た。第一高等学校の入学試験が二日許り前にすんだと。肋膜炎をおして試験に出た所が却つてよくなつたと言つてゐた。四時頃まで遊んで行つた。
 誰か訪ねようと思つても、出かけるのも臆劫だ。本を手にとる気もない。ましてペンを執る様な気持ぢやない。神経衰弱にかかつてるなと気がついた。
 窓をあけて、洋燈を暗くした。円い月が隣の瓦屋根の上に出てゐる。空は秋の様に澄入つて、月の光は明るい。何処かしら虫の音さへ聞える。ああ故郷! これが何時でも月を見る毎に起る問題だ。月を仰いでゐると渋民にゐた時の心地がする。………………………………………………
……………………………………………………………………………………………………
………………………………………………………………………………………
 一時間許りも月に対して微吟した。いろいろの事を思出した。九時頃床を敷いて、枕の上から月を仰いでゐた。
 戸を閉めたのは十二時であつたらう。
 この夜は少し早く眠れた。

七月十四日
 一張羅の単衣が、相憎白地なので、尻のところが黒く汚れたが、着換がないので洗濯屋へやる訳にいかぬ。
 どうも何もかけない。万葉を読むだ。
 夕方に並木君へ葉書出した。
 暮から時々雨。下の下坂一郎が来て十時まで話した。ツマラヌ男だ。
“あこがれ”を珍しくも取出した。あの頃が恋しい。ああ、あの頃が恋しい。
 金田一君が十一時頃に帰京。

七月十五日
 一時頃に並木君が来た。二三日中に函館に帰るといふ。羨ましくなつた。イヤになつた。歌を作つて来た、予の刺戟だ。
 藤條静暁君も来た。
 夕方に二人共帰つた。
 金田一君の室で十時頃迄過した。独歩の事を話した。何だか心細くなつて、自分の心の底の底の、死にたいといふ考まで話した。友の妹君の死んだアトの話――膝を堅く縛つて、髪を結ひ、歯を研いて川に入り、次郎吉君が行つて引揚げた時は夕方。月見草の咲き乱れた川原に、蒼茫たる夕の色の迫つて来た時に、棺に釘をうつたと………
 桜庭ちか子さんへ、別れてから初めての手紙をかいた。
 日暮に蚊やり香を買つた帰り、小野を訪ねてみた。

七月十六日――十七日
 今日は千駄ヶ谷の歌会。十二時、綿入を着て出かけた。宿の傘は破れてゐる。雨が盛んに降る。
 近所の空屋で催した。与謝野氏夫妻に平野、茅野、江南、中島、山城、松原、渡邊、藤條、間島、並木に予。並木君は僕が誘つて行つたのだ。其家にゐる青梅の女といふ人は、美しい快活な人であつた。アトで生田長江も来た。
 兼題五首。互選が済んで採点。予のは、
  三人恋ひ右と左に抱けどものこる一人は抱くすべなし
  乱れざる髪と冷たき手をもてるそのかの人も子をば生むてふ
  相向ひ千万年も物いはぬ山の如くにありけりその夜
  街並木下ゆく我と三階の窓とかたみに嘲笑を投ぐ
  ……等
 更に五首字を結んで作る。
  かみ含めさとせどきかず寝むといふ稚びたるをめでて手捲ける
  高空の雲にしあらば朝にけに汝が家の上を動かざらまし
  怒る時必ず一つ鉢を割り九百九十九割りて死なまし
  朝霧のほのになりゆく思出をすればや悲し老の迫るや
  手なふれそ我火を病めり手なふれそのがれよいざと君を追ひゆく。
 晶子さんの歌に、“白刃もて我に迫れるけはしさの消えゆく人をあはれと思ふ”といふのがあつて与謝野氏は頭を掻いた。
 九時少し過ぎて大方帰つた。残れるもの夫妻と平野と予と渡邊間島松原。与謝野氏の宅に移つて、予の発議で徹夜会を開いた。題三十五。一時少し過ぎて晶子さんと予と相ついでよみ上げた。アトの人は四時迄かかつた。清書して夜が明けた。(十七日)選んで飯を食つて公表。予の歌は一番よかつた。
 十時頃湯に行つて、帰ると、眠い。帰りに並木君へ寄つたが留守。青梅の人を見て帰つて来ると、吉野君とせつ子から葉書が来てゐた。京子は日増に快方に向いてると。吉野君は愈々不遠北海道の奥の厚岸の学校にゆくと。噫。
 すぐ寝て、夕飯に起きた。一時間許り金田一君と語つた。
 障子を明けたまま、蚊やり香を焚いて枕についた。何となく頭の中に秋風の吹く心地だ。母が妻が恋しくなつた。独歩集を読んだ。ああ“牛肉と馬鈴薯”!
 読んでは目を瞑り、目をつぶつては読みした。何とも云へず悲しかつた。明治の文人で一番予に似た人は独歩だ!
 死にたいといふ考が湧いた。!
 いつの間にか眠つたが、ふと目をさましてみると電車の音もきこえぬ。水の如き夜風が開け放した窓から吹き込んで、燈火の影がゆらめいてゐた。いかなる言葉を以ても、この自分の心の深いところをば言ひ表はす事が出来ぬ。だから死んだ方がよいと云ふ事を、半醒半眠のうちに念を押して二三度考へた。死ぬと考へながら、些とも其手段をとらぬ事を自分で疑つてもみた。老いたる母の顔が目に浮んだ。若し自分が死んだら! と思ふと、涙が流れた。泣いてるうちにまた眠つてしまつたらしい。………

七月十八日
 起きたのは八時頃であらう。
 しめやかな気持が続いてゐる。この数日は、女といふものが自分の心から遠ざかつた様だ。其代りに、生命その者に対する倦怠――死を欲する心が時々起つて来る。歌を作つてるのは、煙草をのむと同じ効能がある。それ以上の事はない。そして、一人何もせずにゐると、自分は遂に敗れたる哀れな一 Soul だ!
 日一日と麻痺してゆく心! これが人生の最も悲惨なる悲劇だ。イヤだ、イヤだ。
 並木君が来た。明日立つて函館に帰るといふ。何か用がないかといふ問!
 吉野君にかなしい手紙を書いた。そしてせつ子にもかいた。並木が帰るのに、何も京子に買つてやれぬから許してくれと。
 並木君が帰つて、若し自分の現下の境遇をその儘話したら、母と妻の心は怎うだらう。若し又、何気なく表面だけの嘘を云つてくれて、そして母と妻がそれを信じて安心するとしたら怎うだらう。予は今、自分一個の処置にさへ窮してゐるぢやないか!
 Three of them を読んで了つた。Ilia は遂に石の壁に頭をうちつけて死んだ!
 夜十二時まで金田一君と語つた。案外にはしやいだ話をした。
 床についてすぐ眠つた。

七月十九日
 十時頃目をさまして、貞子さんの長い手紙を読んだ。
 今月に入りてからの歌を自分で選んだ。
 一時頃に吉井君が来た。三四日箱根に行つて来たといふ。この男も此頃は少し考が女といふものから遠ざかつたと云つてゐるが、然し毎週月曜日には土州橋を渡る事にしてあるさうな。浜町十三軒の淫売屋の話、行くと直ぐ女が来る――矢絣か何かの羽織を着て――そして三分か五分話して茶を飲んで、隣室にゆくと床がのべてある。寝て、談判も何もいらず、済むと女はすぐ帰る。何と手取早い文明式ではないかと友は言つた。そして“此総勘定一円六十銭だ”とつけ加へた。“此間北原と太田と深井と四人で散歩しましたよ。”と友は話した。“所がアノ連中は、ヤレ雲の色が怎だとか落日の印象が怎だとか言ふので、僕は三人の前に立つて、君らの顔の印象の方が面白いよと言つてやつた。そして帰りには三人に別れて土州橋を渡りましたよ。……奴等はまだ女と寝た事がないからアンナ歯の浮く様なハイカラな事を言ふんですね。”
 明星募集歌のうち、菅原芳子から来たのに、“新潮に白帆見るごとただ君はうれしきものの数に折らばや。”といふのがある。予の“沖をゆく一つ一つの帆を数へ我を数へぬ君と知れども”に対して見て、笑つた。
 この夏は房州布良の水難救済所へ一ケ月許り行くと言つてゐた。五時頃、一緒に飯を食つて帰つて行つた。
 窓に腰かけてゐると、下を通る一人の男と目が合つた。“ヤア”とどつちでも。やがて其男が一人の連と共に上つて来た。それは釧路新聞に一緒にゐた佐藤衣川(岩)君であつた。予の“病院の窓”に描かれた野村君であつた。
 僕がゐなくなつて、やがて上杉も姿をかくして、到頭自分も小雛丸で釧路を捨てたのだといふ。初めは頗る殊勝にしてゐたが、予が煙草もきらして窮迫してゐるのを見ると、東洋通信社記者と肩書した名刺を出して、盛んに通信事業の文明的で機敏なことを吹聴し、且つ自分の功名談をする。兎にも角にも境遇に多少光明がある故か、その兇状持の様な人相がやや和らいでゐる。予は色ンな事を考へた。そして此男は今屹度梅川操と一緒にゐるだらうと想像した。一緒に来た男は前田實。
 佐藤が帰つて間もなく、阿部和喜衛君が、瓦斯の単衣に小倉の角帯といふ扮装でやつて来た。今は平民書房に泊つてゐて、三崎町の Safeoil 商会に行つてるとの事。話はいろいろであつた。はしなくも渋民を思出した。代用教員時代を語つた。それから阿部から日本へ来てゐる支那の革命家の話をきいて、いつそ支那へ行つて破天荒な事をしながら、一人胸で泣いてゐたいなどと考へた。十一時に帰つた。
 頭に霧がかかつた。佐藤と阿部――此二人の流浪者は今何らかの職について、その顔の色が和らいでゐる。それだけの事実で、今夜の僕のうけた教訓、否、諷刺は沢山だ。………
 金田一君の室へ行つた。“青木先生へ手紙を一本書いてみて下さいませんか?”青木といふ中学時代の先生、それは今川越の女学校長をしてるさうな!
 死場所を見つけねばならぬといふ考が、親孝行をしたいといふ哀しい希望と共に、今の自分の頭を石の如く重く圧してゐる。静かに考へうる境遇、そして親を養ふことの出来る境遇、今望む所はただそれだ。
 何事も自分の満心の興をひくものがない! ああ、生命に倦むといふのがこれかしら。何事も深い興がなく、極端な破壊――自殺――の考がチラチラと心を唆のかす。重い重い、冷たい圧迫が頭から去らぬ。
 かなしい、痛ましい夜であつた。二時半頃まで眠れなかつた。

七月二十日
 古い日誌を取出して、枕の上で読む。五行か十行読むと、もう悲しさが胸一杯に迫つて来て、日誌を投げ出しては目を瞑つた。こんな悲しい事があらうか。読んでは泣き、泣いては読み、これではならぬと立つて卓子に向つた。やがて心が暗くなつて了つて、ペンを投じて、横になつて日誌を読んだ。かくする事何回かにしてこの一日は暮れた。
 身一つ、心一つ、それすらも遣場のない今の自分!“死”といふ問題を余り心で弄びすぎる様な気がするので、強いてその囁きを聞くまいとするが、何時かしらその優しい囁きが耳の後から聞える。敢て自殺の手段に着手しようとはせぬが、唯、その死の囁きを聞いてゐる時だけ、何となく心が一番安らかな様な気がする。
 今日書かうかと思つたのは、出京以来の予自身の事一篇と、阿部月城と予との事一篇。
 日が暮れると金田一君が来て、十二時過まで語つた。自分を慰めて呉れようとする友の心を思ふと、強いて話に身を入れた。いつかしら心が、軽くなる様になつた。然し枕についた時は矢張、胸の中で疲れきつた魂が右に左に寝返りをうつてゐる様な心持であつた。何ものも心から興を引くものがない。
 話したのは幼時の事、幼時に聞いた童話の事、(これは話し乍ら書きとめた。)それから井筒屋といふ旅館の没落と其老人と孫共の事。幼ない時の流行唄の話が出た時、“丸山土手から西東見れヤネ”を思出して、いひしれぬ心地がした。姉に背負はれて、寺堤の土手でその唄をきいた時が恋しい。

七月二十一日
 八時半頃ふと目をさますと枕辺に菅原芳子の筑紫の文。枕の上で夢心地で読んで、少し心が軽くなつて起きた。寄越せといふてやつた歌が八十三首。十一時頃まで金田一君と二人でそれを誦した。
 返事をかいてると一時半頃に吉井君が来た。新らしい背広を着てゐる。借りてゐた本を持つて、一緒に動坂の平野君を訪ねた。大きい桃の実に酒少し。夕方になつて帰つて来た。
 間もなく久振で貞子さんが来た。十時頃までゐて帰つた。
 筑紫への手紙――長い手紙を書き了へて、蚊やり香を焚いて枕についた。取とめもない空想のうちに、些とも励みのない心地で眠つて了つた。

七月二十二日
 起きたのが十二時。下宿料の催促をうけた。心が暗くて、頭が少し痛く重い。
 芳子の歌をなほした。
 切手代用で来た金星会の会費を煙草に代へて来た。
 いひ難き不安、いひ難き不快、冷たくも熱くもない様な悲痛の情。そして時々妙な怒りが胸の底から湧いて来る。
 夕方から十時頃まで金田一君と語つた。幼い時の思出、新詩社の事、……新詩社は十月に百号を出してやめる事になつてゐる………
 過去の思出に生きるとは何たる事であらう。

七月二十三日
 十一時に目をさまして、枕の上で渋民の秀子さんからの手紙を読んだ。温かい涙が不意に両頬をぬらした。心ゆく許り泣いた。………秀子さんは今月の末に渋民を去つて郷里に帰り、九月からは九戸郡にゆくといふ。“私の渋民、渋民の私といふもアト十日間だけの事です”と書いてあつた。
 自分が渋民を去つてから、故郷と秀子さんとは同じものになつて頭の中に宿つてゐた。渋民を思出して、此人を思出さなかつた事はない。此人を思出して、そして、渋民を懐はなかつた事はない。故郷と此人と自分と、この三つは、或意味に於て一つの縄に繋がつてゐた。それを今此人が渋民を去ると聞いては、三つが三つ、離れ離れにされる様な気がする。少くとも今日以後、自分が故郷を忍ぶ心には、それはそれは云ひ難い淋しさ悲しさが伴ふであらうと思はれる。又此人を思出すにしても、何だか自分の心の領分以外に脱した人の様な気がするに違ひない。………何といふ事もなく、自分は故郷の事さへも今後は心ゆく許りなつかしく思ふ事が出来ぬ様になつた様な気がして、半時間許りも泣いた。
 一日故山の事許り考へた。単純な生活が恋しい。何もかもいらぬ。唯故郷の山が恋しい。死にたい。
 自分の歌と芳子の歌を清書して与謝野氏に送つた。中に
  大声に故里人をののしりて背に石うたれのがれ出でにき
 かなしい日であつた。秀子さんへ返事を出した。
 十時頃から一時頃まで金田一君と語つた。樺太の話はうれしかつた。鳥も通はぬ荒磯の、太い太い流木に腰かけて、波頭をかすめとぶ鶻の群を見送つたり、単調な波の音をかぞへたりした光景! アイヌ少女のさま!
 自分は、真の真面目になれぬといふ苦痛を語つた。悲哀とか苦痛とか、自分らはそれを詩化し、弄ぶくせがあつて、悲哀の底苦痛の底にある“真面目”といふものに面相接する事が出来ぬ。自分は毎日心暗く、何の張合なく、何もせず悲しんで許りゐるし、身に迫る痛感の為に、死なうと許り考へてゐるが、然しながら、それでもまだ真に真に真面目に触れてゐない様な気がして仕様がない。
 人生に倦んだだけなら(正宗の如く)まだよい。自分はすべて、一切、ありとあらゆるものが、苦痛だ。自分自身が苦痛だ。
 ホヤが壊れた。三時までも眠れなかつた!!!

七月二十四日
 九時半頃に目をさまして、せつ子と妹からの手紙を枕の上で読んだ。
 亡き姉の長女――田村の稲子、姉の死後行方知れずなつたと云ふ我が姪のゐどころが知れたと知らして来た。今は石狩国空知郡歌志内の停車場の官舎にゐると云ふ。悲しき姪! 多分今は人の妻となつてゐるであらう!
 枕の上でかなしい思出に耽つた、妻も恋しく、妹も恋しい。何よりも、若かつた日の自分が恋しい。
 並木君から、函館へ着いたしらせ。
 今日は煙草がない。刻みの粉を五六服吸つたきり。
 人間の慾といふものの、如何に強いかを、今日つくづくと知つた。此機を以て煙草をやめやうとも考へた。強いて、強いて煙草を忘れやうと、煙草入を隠して、枕を出して横になつた。そして遂に何事も考へず、何事もなさず、日のくれる迄喫煙慾と戦つた。
 遂に敗けたらしい。夕飯を食ふと、すぐ袴を穿いて出懸けた。(単衣の尻の所が黒く汚れてゐるので、)そして弓町の平民書房に阿部君を訪ねた。この男も矢張一文なしであつた。
 悄然として帰つて来ると、室の中が妙に味気なく見える。モウ何も売る物も質に入れるものもない。くすんだ顔をして椅子に凭れてゐると、一封の郵書。それは金星会の歌稿。添削料が一割増で三銭切手十一枚入つてゐた。うれしかつた。これを嬉しがる程の自分の境遇かと思ふと悲しかつた。
 取敢へず外へ出た。四丁目から五丁目まで、栗原古城君と途連れになつた。神経衰弱で昨日まで房州に保養に行つて来たと。
 切手を敷嶋三つに代へて帰つた。ゆるやかな煙が限りなく目をたのしませる。
 一寸と思つて金田一君の室に行つて、十時までゐた。“兄と弟”といふのを書かうと思つたが、他日書くべき長篇を削る様で、遂々書きかねた。枕について、暁までに、“流木”“森の中”“山頂”“黒き箱”“白骨”“老人”“一塊の土”以上七篇の詩を、半分位づつ書いた。
 眠らうと思つてランプを消した時、程近き寺に太鼓の音が聞え出した。遠くで四時の鐘が鳴つた。何処ともなく、涼しい蜩の声が暫し聞えて、窓の下を牛乳屋の草鞋穿の足音がした。

七月二十五日
 半醒半眠の間に、自分が五つ許りの頃、鉄道工事の技師か何かで村に来てゐた鈴木(?)とか云ふ人の娘であつた――自分より二つ位年上の――名も知らぬ美しい子があつたが、その人が訪ねて来る様な気がした。
 十二時ですと起されて、夕方までに昨夜の詩を完成し、与謝野氏へ送つた。
 夕方、金星会へ来た切手を金に代へて、氷をのんで来た。
 明星募集の歌“見る”を半分程なほして枕についた。蚊。

七月二十六日
 七時に目をさまして、函館の近況を報ずる並木君の手紙を読んだ。
 晴れた晴れた日。朝から昼の暑さが想像された。
“見る”の歌を全部清書して与謝野氏に送り、並木君へ返事を書いた。
 十二時半から四時まで昼寝。
 夜、何か書くつもりだつたが、些ともそんな張合がない。
 うつらうつらと、気のぬけた様な心地で、蚊に攻められながら、いろいろの事を考へた。大薩パに言つてみようなら、自己の価値、文学の価値、それらが総て疑問だ。深い深い疑問だ。人生は痛切な事実だ。予は生れてから今が一番真面目な時だ。然し今でもまだ不真面目なところがある。

七月二十七日
 忘るべからざる、最も真面目に過した一日として、此日の日記を書かう。
 十二時頃に目をさました。飯が済んだ。煙草がないので、妙な不満足な感覚で椅子に腰かけてゐた。昨夕出したのに対し、久米井君から明日午前九時にゆくと言つて来た。
 ところへ、女中の愛ちゃんが来て、先月分からの下宿料の催促。いふべからざる暗怒をかくして、自分は随分冷やかに応答した。女中は五六回つづけて来た。とうとう、先月分の十五円若干を、明夕までに払はなければお断りするといふ事になつた。
 自分一個の死活問題が迫つたといふ感じが、妙に深く自分の胸にひびいた。と、一種の深い決心が起つた。決心!――あらゆる不安を圧搾して石の如くした様な決心!
 平生自分が、一家の処置、其将来などを思ふ時は、悲しいうち、痛ましいうち、苦しいうち、にも、猶多少空想を容れる余地がある。が、この自分一個の生命に関する問題になると、寸毫のゆるみもなく、隙もない。
 決心! に妙な怒りが伴つてゐた。然しこの怒りは、常の如く外に発しようとする怒りでなくて、却つて内に破裂した――自分の一切の自負とかプライドとかを一砕して了つて、………噫、かなしい事だ!
 十二時二十分頃に出かけた。無論金田一君に頼めば、調停してくれるとは思ふが、否、否、自分一身の死活問題だ。今が今は何とか弥縫がついても、やがてまた繰返さるべき問題だ。何とか自分で解決せねばならぬといふ考。
 九十三度の炎天。灰色になつた白地の単衣が垢にしめつて、昆布でも纏うてゐる様な心地だ。英和辞書――自分の最後の財産を売つて、電車賃と煙草代を拵へた。
 江戸川の終点まで電車にのつた。小日向台の樹が、窓から見えた。六年前を思浮べて、胸が痛んだ。
 鶴巻町の八雲館に藤條静暁君を訪ねると、一昨日帰郷したとの事。下宿の主婦から戸塚村へゆく路をきいて其処を出た。藤條の話にきいた宿の娘といふのは、成程物凄いほど艶な姿と働く眼を持つた女であつた。
 戸塚村五番地! 自分は小栗風葉氏を訪ねて、旧交もある事であれば、居候においてくれと頼むつもりであつた。
 然し、それから三時過まで探しに探して、遂々見つけかねた。アトで聞けば自分は完く別方面な戸塚町の方を探したのだげな。
 若松町(?)とか、喜久井町とか、南町とか榎町とか、それはそれは、生れた以来初めての町許りアテもなく汗みづくになつて辿り歩いた。俺は死ぬのだといふ弱々しい決心と、無宿者といふ強い感じとを抱いて、初めて町の炎天の下を、両側を物珍らしげに見てあるいた。胸の鳩尾から流れる汗が、鈍つた頭にもそれと知れる。これらの家を、今初めて見て、そして終りに見るのだ、俺は死ぬのだから。と考へたのは、トある新しい家の建つた小坂を降りて曲つて、南町三十三番地先を通つた時。
 北山伏町三三に北原君の宿を初めて訪ねた。そこで気がついたが、頭が鈍つて、耳が――左の耳が、蓋をされた様で、ガンガン鳴つてゐた。
 いろいろと話した。追放令一件も話した。小栗云々の事では、“それは考へ物でせう”と言つてゐた。成程考物だとも思つた。北原君は今、詩集の編輯中だが、矢張つまらぬといふ様な感じを抱いてるらしい。鮨なぞを御馳走になつて、少し涼しくなつてから辞した。途中まで送つて、神楽坂へ出るみちを教へてくれた。
 北原君は十一円の家賃の家に住つて、老婆を一人雇つてゐる。
 その時は余程頭に余裕が出てゐた。
 神楽坂の中腹のトアル氷屋に入つた。夕日の光で、坂を上る人も下る人も、長い長い影法師を逆まに坂に落して歩いてゐた。ガツカリした気持でそれを眺めてゐて、やがて遣瀬ない“放浪”の悲みを覚えた。そこを出て間もなく、トある店の時計を覗くと、恰度午後六時を示してゐた。
 電車で春日町まで来て、広い坂をテクテク上ると、また汗が出た。電車が一台勢ひよく坂を下つて来た。ハット自分は其前に跳込みたくなつた。然し考へた。自分は自分の歌をかいた扇を持つてゐる。死ぬと、屹度これで自分だといふ事が知れるだらう。――かくて予は死ななかつた。そして新聞記者をした事があるだけに、自分の轢死の記事の新聞に載つた体裁などを目に浮べた。
 室に入ると、女中が夕飯の膳を持つて来た。“モウ済んだ。”“さうですか、”ああ、何とした気だらう。自分は今日昼飯とも朝飯ともつかずに、一度喰つたきりなのに!
 金田一君が留守だ。
 七時半に駿河台なる長谷川氏を訪ねた。上野とかいふ軽薄な新聞記者が来た。ケーベル博士及び其僕ストラツセルの話など。やつておいた原稿については、いづれ文芸倶楽部の主任石橋思案にきいてくれるとの事。愉快に話して十時に辞した。
 生温かい夜の風に、一日の汗で濡れた単衣の裾が脛に絡まつて心地悪い。怎やら少し気が軽くなつて、尻端折つて帰つて来た。金田一君へ行つて半時間許り話した。疲労のためグッスリと寝た。

七月二十八日
 九時に粂井君が来たので起きた。直してくれろと言つて持つて来た歌と、外に金星会会費として一円。間嶋琴山君が、一二日中に国へ帰省すると言つて来て三十分許り居て帰つた。
 昼飯を食つて出懸かた。日本橋本町の博文館、其編輯局の三階の応接室で長谷川氏と逢つた。風通しがよくて莫迦に涼い。
 稿料今月は駄目。
 それから知らぬ町をうろつき廻つて鎌倉川岸から濠端、神田橋外から電車に乗つて芝に吉井君を訪ねた。相不変気楽相である。予も元気を出して色々と談つた。同君の家では明日代々木へひき越すとの事である。さて例の件につき、心あたりを聞いてみるとの事。四時頃辞した。
 矢張小栗氏の居候にならう、それで不可かつたら死なう! これだけの考へしか出なかつた。燻んだ顔をして室に入つて、岩崎君からの手紙を読んでると金田一君。莞爾として入つて来て、“主婦が乱暴な事申上げたと云つて頻りにあやまつてました。”!!!
 宿では金田一君から話してくれたので、今後予に対して決して催促せぬと云つたといふ。友の好意! そして十六円出してこれを宿に払ひなさいと!
 予はあまりの事に開いた口がふさがらなかつた。何と言つてよいやら急に言もない。
 厚い厚い友の情に感謝する。その深い、言葉の裏には、また、家族を函館の友の情に頼んでおいて、然も自分自身さへも友の情に泣かねばならぬ有様に対して、言ふ許りなき悲しみも湧いた。
 又一方には、昨日から今日、自分が一生懸命になつて考へ、奔走した事が、朝日に消ゆる霧の跡方なく吹き払はれた様なので、張合が抜けて了つた様な笑も催された。
 然し、これは無論此度だけの事である。自分はこれによつて、今後の事を全く安心しえたのではない。焦眉の急が消えたといふだけで、同じ問題が依然として、自分の長い将来に暗雲の如く横はつてゐる。噫、奈何にして活くべき乎?
 卒如として感じた。予は曩きに、人生は知るべからざるもの故、須らく之を味ふべしと考へた事がある。刹那刹那をも遁さず、最も深く広く人生を味つた人が乃ち英雄といふべしであると考へた事がある。依つて又、人生の事、すべての価値、遂に理智によつて明かに知る事が出来ぬ。蒼茫たる天地の間の微々たる時間に活くる我等! 所詮真に真面目に考へてくると、此苦き自覚より脱するには死の外にない。不如、盲動あるのみである。考へるな、盲動せよ。噫盲動するより外に此生を成すの路がない。………そして之がかの理想とか主義とかの虚偽に生くるより、一番安心だ!!
 七時半に千駄ヶ谷のステーションに降りると夏草にすだく虫の声! 晶子さんと楽しく語つた。新詩社解散の事、その後継雑誌の事について、少し乱暴と思ふ程自分の思ふ通りの異見も言つた。女史は親身の姉の様な気がする。話が長くなつて、帰りには甲武線の電車がなく、四谷まで暗い路をテクテクと歩いて電車で帰つたのは十二時過ぎであつた。八月から大盲動すると許り心で叫んでゐた。


  (※明治四十一年日誌 其二終り)
   明治四十一年日誌 其三に続きます。


ページトップ

石川啄木 啄木日記